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『明代の女真人──女真訳語から永寧寺記碑へ』
序 言
本書の目的は、1413年に女真人自身によって書かれた 『永寧寺記碑』及び明朝初頭に四夷館によ
って編纂された 『女真訳語』雑字の全面的解読をもとに、15世紀における、碑文書写者の遼東女真
人が使用した言語、及びそれと若干異なる 『女真訳語』に反映される言語を文字 ・音韻 ・文法の諸
方面にわたって分析することにある。文化史的推移や女真部族の発展 ・遷移など民族史研究の考察
をも併せて行う。
従来の明代女真史に関する論著においては、女真文字資料が用いられることはむしろ稀であった。
だが、明代女真人の歴史を研究するには、女真人の視野から女真人の世界を観察せねばならない。
そうした主旨のもと、本書は、明代の女真人を真に理解するために、かれら自身の文字で書き残さ
れた資料を研究するものである。『永寧寺記碑』は明朝の東北アジア支配並びに当時極東の辺縁に
住んでいた満洲ツングース人とパレオ=アジア人の歴史を女真大字で記し、第一級史料といえる価
値をもつものである。『女真訳語』雑字は金代の 『女直字書』と承継関係があり、語彙の豊富さと
音韻変遷の明晰さは明代女真文化史の再建に唯一無二の史料価値をもつ。こうした意味で、本書は
契丹文字資料より契丹人の歴史を再検討することで重厚な成果を得た前著 『契丹文墓誌より見た遼
史』と同様に画期的な意味をもち、今後のアジア民族の研究史の起点をなすものとなろう。
現存の12件の女真大字石刻のうち、11件は12~13世紀の金代に集中しており、3件の紙資料のう
①
ち、2件はやはり金代に属するものである 。金末の 『女真進士題名碑』から明初の 『女真訳語』に
かけての180余年の間は、女真文字は空白状態となっている。15世紀における女真人の歴史を論ず
るには、『永寧寺記碑』と『女真訳語』が不可欠の材料となる。明代漢文史料に見える 「野人女真」
は、まさに碑文に記録される 「諸種野人」のことであり、概ね今のツングース南語派諸族に相当す
る。明朝政府が碑文にわざわざ女真大字を刻んだことは、これらの民族集団を、文化的に遼東女真
より開化が遅れた 「野人」として扱ったものの、言語的に広義の 「女真語」に帰属させたこと、並
びに当時の東北アジアにおける女真文字使用の隆盛を示しており、女真史料研究の重要性を顕示す
るものである。
15世紀における女真人に対する研究は、歴史が長く、かつ成果がおびただしい。とくに近年、東
北アジアの諸民族と日本列島との歴史的関係に注目した学際的研究が盛んに行われており、15世紀
① 12件の石刻は、金代の 『朝鮮慶源郡女真國書碑』『海龍女真國書摩崖』『大金得勝陀頌碑』『昭勇大將軍同知雄州
節度使墓碑』『蒙古九峰石壁女真大字石刻』『奧屯良弼餞飲碑』『奧屯良弼詩石刻』『朝鮮北青女真大字石刻』『女真進
士題名碑』『金上京女真大字勧学碑』『女真大字石函銘文』及び明代の 『永寧寺記碑』である。3件の紙資料は、金
代の 『女真文字書残頁』『黒水城女真大字残頁』及び明代の 『女真訳語』である。
ⅰ
の女真人を新たな視点によって再検討することが必要となっている。女真人自身の文字記録を切り
口に考えてみると、いままでの歴史像とは違った歴史像を描くことができる。こうして獲得された
女真人の新しい歴史像を東北アジア史 ・中国史に位置づけていくことは、元朝 ・明朝やアイヌなど
を対象とする歴史研究にも大きく裨益するものとなろう。
女真の歴史や文化に関する研究は、日本 ・ロシア・中国・韓国において長い歴史をもつ。それは
女真が歴史的にサハリン・ロシア沿海州 ・中原地区においてニヴフ・アイヌ ・漢人など数多くの民
族と関係をもっていたためである。本書で提示した15世紀女真大字資料の理解は、国際的にも従来
的な漢文史料への依存を克服する契機となる。ロシアでは、2005年に 『ヌルガン永寧寺遺跡と碑文
─15世紀の北東アジアとアイヌ民族─』が出版された。ロシアの考古学者の数回にわたる遺跡発掘
の重大な成果であるが、研究価値が高い女真大字碑文に関してはごく簡単に紹介されるのみである。
日本では、文部科学省平成15~19年度特定領域研究の北海道研究班「中世の東北アジア史と考古学」
などの研究課題が15世紀の女真に言及する際にも
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