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私立漆工学校静陵図案会物産陈列馆
■私立漆工学校 ・静陵図案会・物産陳列館
○私立漆工学校
静岡の漆工芸も明治20 年代より欧米文化の色が濃くなってきます。デザインや構図の追
及が始まるものの、デザインの専門家がいたわけではなく、新風の漆工芸に理解と興味を
持つ小栗常蔵らが、漆工芸界をリードすることになりました。
小栗は徳川家に随従した家臣団の一人で、狩野芳崖の門下でした。小栗は二番町に住み、
漆工と蒔絵の弟子を集めて絵画を教えていましたが、明治33 年 (1900)に初代静岡市長星
野鉄太郎を校長に迎え、三番町に私立漆工学校を設立しました。当時市内の有力な漆器問
屋であった、中村嘉十、小沢誠一、岩本庄吉、海野善次郎、矢沢久右衛門らが設立に協力
し、文部省の認可や助成に奔走しました。
当学校は、三年制で髹漆(漆工)、蒔絵、木工の三科を置き、指導陣には、東京上野の美
術学校で学んだ萩原元次郎が漆工を、同じ美校出身の藤村彦四郎が図案を教え、蒔絵部長
に酒井遷、塗りの部長に長嶋清吉などがいました。後に県立工業試験場からも技士などを
迎えていましたが、明治42 年 (1909)に廃校となりました。
○静陵図案会
明治 33 年 (1900)、当時静岡県立静岡尋常中学校教諭小栗常蔵(東京美術学校出身)の
指導のもとに、中條重太郎、小林八郎、原田金吾等数 10 名が静岡漆器同業組合に集まり、
毛筆画を学習していました。同志が増えるにつれ静岡漆器工青年会と名づけた会を組織し、
絵画の学習と漆器図案の研究を行うようになりました。
明治40 年 (1907)会の名を「静陵図案会」と改名し、新たに会則を制定して新発足しま
した。会の目的として、「静岡市存在の蒔絵業者を以て組織し、ひろく工芸図案、特に輸出
漆器の意匠図案の進歩改善を図り、これの研究製作をなすことを目的とする」とあり、以
来、意匠図案講習会の開催、懸賞課題図案、漆器展覧会の開催、優秀図案の印刷配布等の
事業の計画と実施を行いました。
大正 3 年 (1914)市の徽章の懸賞応募があり、静岡の「葵に岡」の徽章は、会員の中川
延次郎が応募、採用決定されたものです。
大正 10 年 (1921)6 月、初めて長期意匠図案講習会が開催されました。これは従来実施
してきた意匠図案研究を強化したもので、毎年一カ月夜間 3 時間、三カ年をもって修了す
るもので、後進子弟の基礎教育に重点をおくものでした。
大正 14 年 (1925)5月、天皇皇后両陛下ご結婚25 周年銀婚奉祝にあたり、本会及び静
陵漆器若葉会は、静岡県より献上衣装盆ひと組の製作依頼の光栄に浴し、大正14 年9 月30
日これを完納しました。
この図案会の活動は、大正から昭和初期にかけて静岡の漆芸意匠に一つの流れを提起し
てきましたが、昭和33 年 (1958)に静岡木漆共同職業訓練所にバトンタッチされました。
○物産陳列館
静岡市は明治38 年 (1905)、「物産陳列館」を駿府城城代橋付近に建設しました。当館
は地場産業の委託販売及び各種展示会からはじまり、技術講習会、県内、諸外国から参考
品を購入し展示するなど次第に地場産業の発展にかかわる総合センターの機能を有するよ
うになりました。
事業の拡大に伴い名称も「商工陳列所」、昭和5年に木工の発達に寄与すべく付属工作館
を建設して翌6年には「商工奨励館」と改名しました。
しかし、この施設は昭和20 年 (1945)6 月の静岡大空襲によって灰塵と帰しました。
昭和25 年 (1950)に開所された「工芸指導所」はその継承施設として安倍川町(現葵区
新通)に建設され、静岡市特産品たる内外各種産業工芸品の質的改善と技術意匠の向上を
図る目的で、商品生産のための研究指導や各種展示会を行ってきました。
その後建物の老朽化が著しく、時代の流れに沿った指導範囲を拡充するため組織、名称
を改めて、昭和48 年 「静岡市産業工芸センター」が現在の駿河区中島に建設されました。
昭和53 年(1978)ごろからは、不況から脱し景気が上向きとなり、静岡市内で開催され
る見本市、展示会などが増加してきます。特に地場産業関係の見本市は回を重ねるごとに
大規模化して、従来使用していた市立体育館、駿府会館等では手狭になってきました。ま
た、もともと展示機能を備えた施設ではないので利用上さまざまな制限と不便も感じてい
ました。
これを契機に、積極的に地場産業の育成と振興を図るには、拠点となる専門展示場が必
要であるとの機運が高まり、昭和57 年 (1982)静岡産業館がオ
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