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宫腰から金石へ-金沢図书馆
平成23年 新春展
宮腰から 金石 へ
上:宮腰町絵図(元禄年中、中山家文書)
下:金石町市街全図(昭和初期、旧上金石町役場文書)
平成23 年 1月22 日(土)~ 3月20 日( 日)
金沢市立玉川図書館 近世史料館
開催にあたって
かないわ
現在の金石地域は近世まで宮腰と呼ばれていました。前田氏の金沢入城 を先導 した中山
氏の功績 もあり、宮腰は金沢城下の外港として整備が進められました。以後の宮腰は城下
町金沢の影響を強く受けながら発展していきました。一方で、海 を通じて領外の人や物資
を受け入れる窓口としての役割 を担ったため、港町特有の開放的な文化が醸成され、文化
面では歌舞伎女形役者の初代中村歌右衛門、経済面では海商の銭屋五兵衛のように、藩域
を越 えて活躍する進取の気性に富んだ人物 を生み出すことになりました。
金沢の外港としての宮腰の地位は、隣村の大野村等の台頭によりしばしば脅かされてい
きました。船の入津 をめぐる数度の争論の末、幕末の慶応 2 年 (1866)には両者の対立の
融和 を目的とした合併が行われ、金石町が成立 しました。
こうした 宮腰(金石)地域に関する歴史資料 として、中山家文書(個人蔵)、加越能文庫
(当館所蔵)、酒屋家文書(石川県立図書館所蔵)などが知 られています。また、先般の金
沢市史編 さん事業に伴い、喜楽彦三家文
書、木屋藤右衛門家文書等、大野・粟 ヶ
崎地域 を含めた史料の発掘、再確認が行
われました。このような地域の史料に対
する関心の高まりの中で、今年度当館は
二木文庫 と旧上金石町役場文書という、
ともに宮腰(金石)地域の史料の寄贈 を
受けました。二木文庫は、近世宮腰の町
年寄等、町役人 を歴任 した有力町人であ
る銭屋市郎右衛門家に伝来した文書で
す。旧上金石町役場文書は、明治 22 年
(1889)に市町村制が施行されてから昭
和 18 年 (1943)に金沢市に編入 される
までの上金石町(大正 9 年(1920)に金
石町 と改称)の役場文書です。今後、両
史料の活用により、当該地域の新たな史
実の解明が進むものと期待 されます。
本展示 では、二木文庫、旧上金石町役
場文書の寄贈 を記念 して、宮腰 (金石)
地域の特徴や変遷について、所蔵史料等
により紹介 します。
【
825-18】延喜式内社大野湊神社千二百年祭行列之図
(中山家文書、個人蔵)
1
1.港町 宮腰
今回寄贈 を受けた二木文庫の中には、承応 4 年 (1655)
おおつのぼりまい の ぼ せ ま い
の大津登米 (為登米 ともいう)に関する史料が 16 点含ま
れています。大津登米 とは、加賀藩が年貢米 を販売するた
め大津へ米 を回送することを言います。この時に採 られた
一般的なルートは、領内から一旦宮腰に集積 した後、敦賀
を経て、琵琶湖経由で大津へ運ぶというものでした。この
大津登米は元和 2 年 (1616)に制度化 されますが、西廻 り
航路 を用いた大坂登米が本格化する 17 世紀後半以降は衰
退 したと言われています。今回紹介する承応 4 年の大津登
米はその最末期の事例であり、大坂登米 を同時に行いなが
【
ら安定的な販売ルートを模索 していた時期のものです。こ 37.2-12】大津登米に付御印書等
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