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地域社会の皇族表象 97-
地域社会の皇族表象
一昭和10年代・青森県を事例に-
茂 木 謙之介
はじめに
本稿の目的は、昭和10年代の地域社会における皇族表象を分析することを通して、当該時期に
高揚したとされる天皇神格化1という状況下における皇族の位置づけを試みることにある。
近代日本の天皇制に関わる先行研究は戦後の丸山真男らの研究】1に端を発し、その成果は厚い
と言うことが出来るが、天皇崇敬の問題111に注目したとき、そこでは崇敬対象としての天皇とそ
れを受容する国民という二極構造での理解がなされており、近代において「天皇の藩犀」として
位置づけられた皇族lVと崇敬の行われた場としての地域社会Vに関しては閑却されている感があ
るといえよう。この状況に関し、論者は皇族が地域社会に来臨するイベントである(御成)に着
目し研究を行ってきたがvl、本稿ではその(御成)後の状況に注目し、地域社会において如何な
る皇族表象が展開していたのかを読み解くことで、翻っては当該時期の天皇神格化について、従
来の理解に変容を迫りたい。
具体的には昭和10年代の青森県における言説として、太宰治の小説『津軽』、及び1935年8月
から1936年12月の大正天皇第二皇子・秩父宮確仁親王による青森県弘前在任を記念した本多徳治
編『秩父宮両殿下御高徳録』 (東奥日報社、 1937年)を取り上げ、そこにおける皇族表象を読み
解く。
以下、第1章では『津軽』の皇族の来臨に関して言及が為された部分の分析を行い∴1944年と
いう時代状況下での皇族表象の様相を明らかにする。続いて第2章では『津軽』の中でも特に秩
父宮-言及した記述に着目して、実際の秩父宮の弘前市在任に関わるテクストとして『秩父宮両
殿下御高徳録』を分析し、翻っては当該時期における地域社会での天皇崇敬の問題を考察する。
第1章 太宰治『津軽』の皇族表象
本章では太宰治の小説『津軽』のうち、皇族について言及のある部分に検討を加えるvll。
『津軽』は1944年11月に小山書店より『新風土記叢書』第7編として出版された小説であり、 ○
四
作家の「私」が「高等学校を卒業と同時に東京の大学-来て、それっきり十年も(略)帰らなか
った」故郷の青森県津軽地方を旅したことを描くという構成をとる。
このテクストが出版される契機となった『新風土記叢書』シリーズの書誌に関しては紅野敏郎
と横手一彦の研究Ⅷ1に詳しく、紅野の指摘に拠れば「昭和十年代の(略)経済的な圧迫によって
ー98-
やはり何か良いものであって、売れそうなもの」を構想した小山書店の社主・小山久二郎が、後
援者の河盛好蔵から「現代の風土記をつくったらどうか」 「現代の選りすぐった文人に自分の故
郷を語らせ、またその土地出身の画家に挿絵を措いてもらう」という案を提示され刊行したもの
であり、特に終戦間際の1944年の本作品は、まさに「戟時期の人びとに広く読まれ、共感を得る
作品内容であることが期待」された一編であったlXoこのことは『津軽』本編の中でも「私」自
姿を、そのまま読者に伝える」 (167ページ)ことを目論んでいることからも読み取れよう。
じることに関し、言うなれば作品中に措かれたことが(事実)であるのか否かに関して様々の考
察が為されているがX、ここではそれらの指摘を括弧入れし、紅野や横手らの指摘に基づいて、
本作品が同時代に発表され広く一般に流布した一個のテクストとして扱い、そこで如何様に皇族
が語られ_るのかを検討し、地域社会における皇族表象を紐解く手がかりとしたいo
作品での皇族表象の初榔ま「農村中堅人物の要請と拓士訓練の為に設立」された情森県の修
この本州の原野、もったいないくらいのa堂々たる設備であるo b秩父の宮様が弘前の八師団
三並をとか、講堂もC皇里製産で、地方稀に見るd荘厳の建物になって、その他、作業場あり、
家畜小屋あり、肥料蓄積所、寄宿舎、私は、ただ、眼を丸くして驚くばかりであったo
「へえ?ちっとも、知らなかった。金木には過ぎたるもの
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