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日本文化关键词-幽玄参考资料
日本文化のキーワード 幽玄
まこと、もののあはれ、わび、さび、ほそみ、しをり、たけ、かるみ…。上古より、日本文化を象徴するキーワードが、歌論を中心にさまざまな人により、さまざまな形で提唱されてきました。浄土思想歌にとどまらず、演劇影響を与えるキーワードがあります。その展開分野のもっとも広範なキーワードが、「幽玄」。今日、能楽の代名詞のごとく使用されている「幽玄」は、もとは「もののあはれ」と同様、歌論から一般化、普及されてきた概念でした。ちなみに今日、「わび」は茶道、「さび」は俳諧をそれぞれ代表するキーワードのように取り扱われていますが、歴史的にそれぞれ必ずしも、これら一分野の専門用語としてのみ発展してきたものではありません。上にあげたキーワードは、現在すべて仮名で表記されることがほとんど。しかし、幽玄だけは「ゆうげん」ではなく、「幽玄」、漢字表記ですね。理由は、この言葉だけが中国から直輸入され、表記だからです。
時代や分野により、さまざまな定義にて用いられ、発展をとげてきた幽玄。今後も、時代とともに、成長化にその影響をおよぼし、広めていくものと思われます。今、平成十九年時点での「幽玄」考を総ざらいし、整理しておくことも、日本文化に興味をもつ人にとって、あながち無駄なことでもあるまい、と考えました。
さて、今回は以下の構成で、幽玄について考察して行こうと思います。
1.幽玄の伝来と、他キーワードとの関連2.和歌と幽玄3.能、禅と幽玄4.俳諧と幽玄5.その他分野への展開と影響
1.幽玄の伝来と、他キーワードとの関連
数々の概念、知識とともに「幽玄」も中国から、わが国にわたり、輸入当初は原義にて使用されていたといいます。古くは『古今集』にまずみられ、十二世紀には管弦の風趣を表現する言葉として用いられました。
「〔幽玄〕という語の比較的古い用例は、後秦時代の釈肇が記した『宝蔵論』〔離微体浄品〕にある〔故製離微之論、顕体幽玄、学者深思、可知虚実矣〕である。西暦四百二十年頃成立したとされる『後漢書』にも用例がある。〔霊思何皇后紀〕中に〔逝将去汝兮適幽玄〕とあるのがそれである。他に、唐代の詩人、駱賓王(初唐の詩人)の『蛍火賦』に、〔委性命兮幽玄、任物理兮推遷〕とあるなど、いずれもその境地が〔深遠で、微妙〕であることを意味している。『日本語大事典』(小学館)には、〔古く中国では、幽冥の国をさし、のちには老子していった〕とある。『臨済録』(成立年未詳)にある、〔仏法幽玄。解得可可地〕などが、その代表例である。 わが国にも、原義のまま移入されたと見え、『古今集』(九百五年 延喜五 序)真名序にある〔或事関神異、或興入幽玄〕という表現は、原義のまま用いられている。伊藤博之によると、〔幽玄〕という言葉は、〔十二世紀の文献に広く見られ、特に管弦の興を表現する際、『興入幽玄』といった慣用句が一般化し、詩の作風の一つとして『余情幽玄体』(『作文大体』)とか『幽玄之体』といった風体が立てられるに至った〕という。また、田中裕によると、藤原俊成や藤原定家などが使用した〔幽玄〕という語も、〔すべてこの原義から説明でき〕、彼らが使った〔幽玄〕という言葉は〔まだ審美論としては現れず、それが優美という」(『幽玄』と象徴-『新古今集』の評価をめぐって 岩井茂樹)
さて、それでは、この「幽玄」は、他の日本文化キーワード「まこと」「あはれ」「さび」などと、どのように関連し、どのような流れを描いてきたのでしょうか。
「一九二九年(昭和三)に久松真一は、『上代日本文学の研究』において、〔まこと〕、〔あはれ〕、〔幽玄〕が国文学を流れる三つの精神である、と説いた。久松は一九三一年にも『岩波講座 日本文学概説』において古代の〔まこと〕の理念が中古には〔もののあはれ〕へと発展し、それが中世に〔幽玄〕となって、最終的には芭蕉の〔さび〕となるのだ、と主張した」(能はいつから『幽玄』になったのか? 岩井茂樹)
歌論においては、この後見るように、藤原俊成が「幽玄」を歌の最奥の理念として打ち立てました。俊成の理念において「幽玄」が、あはれ、さび、ほそみなどという概念とどのように、関わりながら発展、確立されたのでしょうか。また、「幽玄」に至るまで、俊成は、古今集復帰を理想としながら、「たけ高し」「遠白し」という独自のキーワードで歌に対し新しい境地を開拓しようと試みたといいます。
「○俊成は古今集復帰を志しながら、古今に比して一歩異なる境地に進んでいる。彼の歌に対する新しい開拓は以下。
○たけ高し 率直な旦壮大なる感情のある歌。
○遠白し 大きにゆたけき意(壮大
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