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会报第14号-认定NPO法人日本文化塾

会報第14号2016年9月30日認定NPO法人日本文化塾 高温と多雨に襲われた激しい夏も急速に去り、秋めいてきました。幕末に来日した欧米人が抱いた日本への賞賛や驚き、憧憬等を、私たちは単に、「あまりにも異文化」に遭遇した故であり、それほどわが日本文化は特殊であると教えこまれてきた気がします。しかし、英国人ブラックは、当時の日本に出会ったとき、「ヨーロッパですでに過去のものとなっていたもの、かつてからよく知っているものを、国民の生活が、たくさん持っていたから、それらを学ぶことは本当に楽しかった」と述べているのです。ほかにも、彼らが日本びいきになったのは、例えば色彩感覚や役人の行動等にもアジアのどの国よりも、欧州文化との共通項があったからだと言う欧米人が多かったそうです。日本の近代化について語るとき、日本人自身にこのことが忘れられてきたのは、なぜなのか、秋の夜長に考えています。2016年4月から9月の活動報告*HP上に参加者のご感想を掲載していますので、講演会終了後逐次お読みください4月23日 講演会「伊勢?松坂ー歴史応用学の視点」                       千枝 大志氏(中京大学文学部学芸員)新年度の最初の講演会は、三重県の伊勢市や松阪市等で町中の文化財保存にお力を注ぐ若手研究者、千枝大志氏を講師にお招きした。以前にも二度、伊勢神宮の参詣曼荼羅と、山田羽書の流通と、本来の研究分野のお話をお願いしているが、今回は、氏がライフワークに描いておられるご自身の方向性として打ち出された《歴史応用学》とい視点でお話しいただいた。地域の方々との結びつきを大事に、伊勢や松阪という豊富な文化遺産を持つ場において、その収集や保存に取り組み人材育成にも尽くそうとご活躍だ。伊勢国、特に宇治山田地域や松坂地域のことを研究し始めて18年になる。学生時代にはかえって、珍しい研究分野ということから注目をいただくことが多かった。今回は、社会人になって以降の話を中心に、少し客観的に自分の仕事を眺めて、三重県の現状等もお話ししたい。一般的に日本史を学んだというと、必ずしも社会の役に立っているとは思われない。活躍の場があっても、いわゆる金銭的に保障されているとは言えない、しかし、社会的なニーズも確かにある。災害の研究などもこの節進んでいるので、未来の糧にならないわけではないが、仕事が無いことと社会的ニーズとは一致しないのが現実。あるとき、調査に行った先で、歴史は科学である以上発展するもので、人類の役に立たなければならないのではないのかと、言われたことがあった。その後、歴史学は人文科学であると意識するようになったと同時に、役に立つ歴史学、ニーズに応える実学としての歴史学が追究できるのではないかと考えるようになった。そこで、これを《歴史応用学》と呼ぶことにして、私の活動をご紹介してみたい。まず、伊勢の歴史といっても、地元の人でも伊勢神宮があるぐらいしかご存じないかもしれない。そこで、江戸時代の絵図を広げて見ると、神宮領はだいたい今の伊勢市に一致し、紀州藩の飛び地も入り組んでいる。伊勢は基本的に伊勢湾を中心として、物資が吸い寄せられて集積される流通構造である。内宮前、すなわち今おかげ横丁と言われている門前町宇治、外宮門前町の山田、廻船造船が盛んな大湊、物資集積の中心河崎等がある。門前町は物流の中心であると共に、参詣人を泊める場所である。町のヒエラルキーの最上部にいる御師=神主兼旅館業の宿が立ち並ぶ宿泊を中心とした町であった。18世紀中頃の檀家=信者は546万余りにも達し、なかには一つの家で35万人もの檀家を抱えた御師もいた。その頃は宇治山田を合わせて740軒ほどの御師が旅館業を営んでいたが、御師の数をはじめ戸数や人口も幕末に向かって減少した。ようやく最近になり当地の経済史が大学の経済学部の教科書にも載るようになった。中世後期の八日市場から中世末期に勢田川中流域にできた商人宿河崎へと地域経済の中心が移り、さらに江戸期問屋街へと発展、特に19世紀河崎は富の集積が進んだ。このように山田は真ん中から周辺へ同心円状に発達し、帯状の端にあった河崎や花柳街古市が隆盛となる。実は、16世紀後半河崎には永楽銭により米相場が立ち、神宮でも河崎のレートが採用されていた。関西では永楽銭が好まれず、伊勢は丁度、関東と関西の分かれ目になろう。18世紀以降には、青物市場等河崎に対抗する商業区も山田の中心に生まれてくる。現在河崎には、伊勢河崎商人館という老舗酒問屋小川邸を活用した街角資料館があり、問屋街としては機能していないが古い町屋や店舗も複数残る。私は《まちづくり》は専門分野ではないが、ここが《歴史応用学》の現場そのもので、活動の場の一つである。対して、現在のおかげ横丁はすべて鉄筋作

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