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2006年7月27日-大阪平和人権センター

                     2006年7月27日午後6時30分 P L P 会 館 会 議 室 被爆61周年 原水爆禁止世界大会結団集会 次第 主催挨拶 記念講演  「被爆61周年原水禁大会前の戦争?核の暗雲」 和田長久  (原水禁専門委員) 被爆61周年原水禁大会実施要綱 大阪平和人権センター   2006?7?27  原水禁世界大会結団集会 講演レジメ 「被爆61周年原水禁大会前の戦争?核の暗雲」                           原水爆禁止日本国民会議                           専門委員  和田 長久  Ⅰ.原水禁運動の誕生と歴史 ?生活者の感性が運動を広げ、発展させた ?放射能に対する拒否が「原水禁」を発足させ、原発反対の運動に取り組んでいった ?カタカナのヒバクシャ Ⅱ.北朝鮮のミサイルと核をどう考えるか 1.テポドン2号の日本海着弾は意図的か?失敗か? ?米国の都合、北朝鮮の都合 ?展望のない日本の対応   2.米朝対立の歴史 ?朝鮮戦争は完全に終わっていない 3.北朝鮮の核開発でゆれる米国 ?直前で回避されたクリントン米大統領の北朝鮮攻撃       北朝鮮に1500弱の洞窟 米軍の死者 8万~10万の遺体収容袋       韓国兵の死者 数十万人 民間人の犠牲は計り知れず       日本の対応 1000以上、ノドンミサイルの影響は計算されず ?米朝枠組み合意は、理性的で現実的対応 ?ブッシュ米大統領に北朝鮮政策は存在しない ?2005年9月19日に発表の6ヵ国協議「共同声明」の画期的な内容 北朝鮮は一切の核兵器と核開発計画を放棄し、NPT(核拡散防止条約)に復帰し、IAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れる。一方北朝鮮の求める原子力平和利用について、適当な時期に軽水炉提供で議論する。 ②米国は朝鮮半島で核兵器を持たず、北朝鮮を核兵器や通常兵器で攻撃、侵略する意図はない。米朝は相互の主権を尊重し、平和的共存、関係正常化の措置をとる。 ?意図的に切られた偽ドルカード ?6ヵ国協議再開以外に道はない     ?テポドン2号発射で前倒しされるミサイル防衛(MD) Ⅲ.ミサイル防衛で弾道ミサイルは迎撃できるか 弾道ミサイルの仕組み ?ブースター段階、大気圏外段階、大気圏再突入段階 ?宇宙衛星、レーダー基地、迎撃ミサイルが一体化 弾道ミサイルは秒速5??~8?? スタンダードミサイル?3(SM?3)は飛距離が足りない パトリオット?3(PAC?3)は命中率が悪い 唯一の希望は、レーザービーム兵器の開発。しかし展望はない   6.笑いが止まらない軍需産業 7.先制攻撃論と地中貫通核爆弾     ?現在の地中貫通爆弾は、核弾頭を用いてもせいぜい6?(固い岩盤) 資料:北朝鮮核関連略年表 1948年8月15日、大韓民国成立。 9月8日、朝鮮民主主義人民共和国成立。 1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。同日、国連安保理で北朝鮮の侵略と宣告、米軍を中心とする国連軍参戦(当日、なぜかソ連は国連にいなかった) 1953年7月27日、休戦協定調印(現在に至るも平和条約は未締結) 1950年代に原子力開発に着手 1965年に、旧ソ連、小型研究炉IRT2000(軽水冷却)を提供 1980年代半ばに独力で黒鉛減速?ガス冷却炉(核兵器用プルトニュウムが作りやすい)を開発(モデルは英国のマグノックス炉という2重目的炉) 1985年12月12日、国際的圧力でNPT(核不拡散条約)に署名(18ヶ月内にIAEA=国際原子力機構と保障措置締結義務)当時、旧ソ連から軽水炉の輸入を交渉中) 1985年に黒鉛減速炉、臨界。1986年に運転開始。 1989年頃、再処理施設の建設が問題になる。 1991年9月17日、国連に南北共同加盟。 1992年1月21日、「朝鮮半島の非核化に関する宣言」調印 1月30日、IAEAと保障措置協定署名 (4月30日発効) 1992年5月 IAEAの査察開始――プルトニュウム抽出問題が表面化 1993年2月25日、IAEA特別査察要求。3月25日期限に。3月12日、北朝鮮NPT脱退声明 6月11日、米朝共同宣言。北朝鮮脱退せず、7施設の査察に同意、米は北朝鮮を武力で威嚇、攻撃しないと約束 1994年3月3日、査察再開 6月13日北朝鮮IAEA脱退を宣言。 6月戦争直前、16-18日、カーター米元大統領訪朝 10月 米朝枠組み合意 1995年3月9日、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)発足 1998年8月31日、テポドンミサイル発射 2002年8月 軽水炉本体の基礎工事着工     9月17日 日朝平壌宣言     10月16日 米国務省、北朝鮮がウラン濃縮の情報を得たと

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