南八甲田猿仓温泉御鼻部山旧県道.doc

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南八甲田猿仓温泉御鼻部山旧県道

南八甲田縦走路(猿倉温泉~御鼻部山―俗称旧県道―)        *** は じ め に *** 南八甲田に登山して誰しもが疑問に思っていることの一つに「石垣」や「コンクリート橋」や「ヒューム管」の存在ではないでしょうか。私も昭和50年代に山岳会に入って、初めて南八甲田に登山した際にその存在に出くわし、先輩の話すことの断片を聞いてそんな昔に良くもこんな山中にと驚いたものでした。当時の登山道は笹薮をこぎ、溝を伝って歩く大変な登山道でした。望甲台、見返峠、地獄峠などの名称があるところでは地名の説明を聞かされたりしました。地獄峠は建設当時の人夫がここを境に困難な天候と作業の世界から抜け出せるところなのだとのこと。また、このルートは軍事的目的を持った軍用道路として戦前の昭和8~9年とか9~11年とかに造られたのだと登山者の間には口伝えに知らされて来たのでありました。 それで、一体全体本当のところはどうなんだろうと思いこれまでの登山案内書、文献、新聞の記事にはどんな風にこの歩道(旧県道)のことが記載されているか調べてみました。 文献や新聞の記事を手に次第に記述しましたので、年代順になっていませんので読みづらいことと思いますが、賢明なる読者の皆さんに甘えることといたしました。そして、我々青森県の山岳愛好者として幾分かの知識になればと思います。 さて、この道路の開鑿された当時の内外の情勢は不況、災害、大陸進出と、昭和6年の満州事変から太平洋戦争の勃発した16年、更に20年の終戦までの“15年戦争”に突入した時代です。東奥日報には、外地での戦死者報道も散見され出したころです。「青森県議会史」にも載っていますが、不況に加えて、昭和6年の凶作、7年の大水害、8年の三陸津波、9年には大正2年以来の大凶作と自然災害が立て続けに起こったため、昭和6年以降産業振興、時局匡救等各種の臨時的土木事業が県下全面的に行われたのです。また、丁度この頃、十和田湖が国立公園の候補に上げられたこともあり、観光収入を当てにして十和田湖を中心にした自動車観光道路の建設が盛んに求められたようです。 *** 先ずは、登山団体の記録集や登山案内書等を見てみましょう。 *** 『自然とともに』 青森ワンダーフォーゲルクラブ10周年誌 昭和51年2月23日発行には、 南八甲田 の項でP13に 「 南八甲田火山群の最高峰櫛ヶ峰登山は、猿倉温泉より御鼻部山へ至る旧道(猿倉温泉より御鼻部山への旧県道であり、自動車道路として開発したが、完成前に中止となり廃道となった)途中の黄瀬萢より登るのが一般的であるが、??? 」 また昭和61年2月23日発行の 同クラブの20周年記念誌 P25 御鼻部山~猿倉温泉縦走 の項には、 「 昭和9年県道として猿倉~御鼻部間が開削されるとともに、昭和11年2月1日、大町桂月などによって紹介された十和田が、国立公園として正式に指定され、内務省施設自動車道候補線の一つとして、猿倉~御鼻部山~鉛山~子の口間道路の整備計画が進められた。これが現在の旧道である。中央の石畳を除き、幅6メートルにわたって細い幹をしたブナ、アオモリトドマツが目に付く。50年の歳月と自然の力を無言で語っているように思える。 」 『青森県山岳風土記』 山田耕一郎著 昭和54年10月5日発行の 八甲田山 の項P155には、 「 かっての自動車道路は南八甲田の山ふところを通り抜けることが出来る唯一の歩道となっている。昭和11年に軍事的な目的で作られたとかいう、七戸から十和田湖を経由して黒石へ抜ける自動車道路がそれである。路面は敷石作業が終了したものの一、二度トラックが通ったというだけで、後は自然のまま放置された。そのため路上にはブナの木やダケカンバの稚苗が育ち、高山植物がすっかり根付いて、とても道路とは思えない状態になってしまった。 」 『青森県の山」』 ―日帰りコース―  青森銀行山岳会編集 昭和62年4月15日発行のP92 駒ヶ峰 の項に 「 道は一本道の旧道(旧自動車道)を歩くので、迷うことは無い。??? 」 分県登山ガイド『青森県の山』 根深 誠著 1993年9月15日初版第一刷P68 駒ヶ峰 の項のワンポイント?アドバイスに 「 猿倉温泉?御鼻部山間27キロの旧道は、なぜか旧軍用道路と信じている人が多い。しかし、この説は違う。青森県が昭和9~11年に失業対策事業で建設したものだ。戦時中から放ったままとなり、以来、復旧されることなく現在にいたっている。 」 『青森110山」』 村上義千代著 平成11年10月16日初版発行のP132 御鼻部山の項で2ページに亘り詳細に 「 猿倉温泉から南八甲田を貫き御鼻部山にいたる27キロの山道。「あれは軍用道路だったんだ」。本県の山岳関係者の間では、このよう

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