东北师范大学 山室信一讲座要旨.docVIP

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东北师范大学 山室信一讲座要旨

                      山室信一(京都大学人文科学研究所) 1.近代日本における非戦思想の水脈  日本は甲午(中日)戦争以後、日露戦争、第一次世界大戦そして柳条湖事件を発端と する15年戦争と、ほぼ10年ごとに対外戦争を繰り返してきた。そして、それらの戦争 を遂行するために武威や尚武さらに武士道が日本の伝統思想であると称揚され、教育を 通じて国民に注入されていった。しかし、豊臣秀吉による「刀狩り」以降、武士以外の 国民は武器をもつことを禁じられ、1615年の大阪の陣を最後に大きな戦乱は後を絶っ て「元和偃武」と称されたように、徳川時代の250年を通じて非戦こそが伝統であっ たと見ることもできる(もちろん、吉利支丹弾圧をめぐる天草の乱など内乱が全くなか ったわけではない)。その背景には仏教徒が多かった国民の間では、生き物を殺すこと を禁ずる「殺生戒」が浸透していたことなども指摘できるであろう。  しかしながら、欧米諸国によって開国を促されて国際法体系に入った日本は、植民地 化の危機を乗り切り、万国と対峙していくために「富国強兵」を国是として軍事力と経 済力の強化を国家課題として追求していくことになり、その資源獲得のために植民地を 欧米と競い合う国民帝国として対外戦争を繰り返すことになったのである。  ただ、そうであったからこそ、戦争に反対し、東アジアに平和をもたらすための方途 を必死で探し出そうとする思想的営為としての非戦論が絶えることがなかったことも 見逃すべきではない。確かに、非戦論は日本の針路そのものを変えることはできなかっ た。しかし、対外的侵攻に反対し、アジアのみならず世界の平和を築いていくための「も う一つの現実」を目指す議論は、戦争の惨禍の反省を踏まえて施行された日本国憲法の 第9条において一つの結実をみることになった。そして、現在、日本ではその「改正」 に向けて動き出している。  こうした日本の動向を踏まえながら、現実の前に屈服するのではなく、オルターナテ ィブを提起すべく発せられ続けてきた非戦思想の水脈を辿ることによって東アジアが 一つのコミュニティとなる可能性に光りを当ててみたい。 2.魯迅が中国人と思った評論家?橘樸の思想遍歴  魯迅が「あの人は自分よりも中国のことを知っている」と評した橘樸は、その人生の 大半を中国東北部で暮らしたジャーナリストであり、とりわけ「偽満洲国」の建国理念 である「王道楽土」や「大同」を唱導したことによってファシズムのイデオローグと評 されてもいる。しかし、「偽満洲国」がその建国理念であるはずの「王道楽土」や「大 同」を裏切っていくことに対して、一貫して最も鋭い批判者として筆鋒を揮い続けたこ とも否定できない。 その橘の思想的活動を貫いた動機は、自ら記しているところによれば「物好きや知的 欲求にあるのではなく、主として政治目的即ち日中両民族の正しい関係の理論および方法を探索することにあった」とされる。もちろん、激動する中日関係を前にして、何が「日中両民族の正しい関係」であるのかを見きわめることは容易な業ではなく、橘は現実を変えるために時として関東軍や日本政府の政治力を利用しようとしては失敗し、失望を重ねることになった。 他方、橘は西洋社会と異なるアジアにおける社会構成のあり方を模索していったが、そこで橘が最も重視したのは、中国社会の基底にある農村における自治的伝統であった。そして、こうした分権的自治共同体の結合体として国家を捉え、その自治的国家の共同体としてのアジアを結成していくことによって欧米の覇権国家を放逐し、最終的に国家共同体としての世界が実現すると考えたのである。そうした構想に繫がるものとして橘は孫文思想を評価し、東アジアにおける共同体実現のためには何よりも日本人が自民族優越主義を棄て、日本政府が他の民族の自立を承認し援助する政策を採ることを力説した。だが、結果的に橘が考えた「日本改造」は実現せず、敗戦後の中国で橘は失意のうちに一生を終えたのである。 以上のような2つの講義を通じて、私は同時代にあっては夢想や幻想として斥けられた思想的営為に着目してみたい。なぜなら、非戦論を冷笑した人々に対して内村鑑三が反論したように、「理想を説くことは決して無益ではない。説かれざる理想の現実となって顕わるる時はない」というのも厳然たる事実であるに違いないからである。そして、思想史を学ぶ真の意義も、そこにあると私には思えてならないからである。 译文: 1. 近代日本非战思想的流脉 日本在甲午(中日)战争以后,又经历了日俄战争、第一次世界大战以及以柳条湖事件为开端的15年战争,基本上每10年就会重复地进行对外战争。而为了使这些战争得以成行,又赞颂武威、尚武以及武士道乃是日

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