小笠原植物図监-早稲田大学.PDF

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小笠原植物図监-早稲田大学

2009 年版 小笠原植物図鑑 早稲田大学本庄高等学院 小笠原研修チーム編集 年 組 番 氏名 はじめに この図鑑は早稲田大学本庄高等学院における過去 3年間の SSH小笠原研修プロ グラムで撮影した画像を元に、携帯できる「図鑑」という形式でまとめたもので ある。特に 2008年度は石門地区のオガサワラグワ調査を実施しており、そこで観 察したものをすべて掲載した。 今後の小笠原研修における観察の補助のみならず、読者諸君の植物や小笠原に 対する興味を喚起することを期待する。 ※ 2008年度小笠原研修チーム 1B向畑有真、1C中俣汐里・内田文恵、1F田村百合絵、2A朝比奈諒・ 神田庸平・藤井智也、2B藤井さとみ、2D岩川実央、2H小澤楓、上牧瀬 香(国語科)、半田亨(情報科)、内野郁夫(総合学習科) ※ 本書は藤井さとみ・岩川実央・小澤楓・半田亨・内野郁夫が中心となって編 集した。 小笠原に関する予備知識 1. 行政 東京都小笠原村、人口は父島が約2000人、母島が400 人、それ以外は無人島 2. 地理 東京竹芝桟橋から南へ約1000キロ、東経143度北緯27度付近の縦に並ぶ島嶼群 交通は6日に 1便のおがさわら丸(片道25 時間)のみ。父島⇔母島間はははじま丸(片道 2時間半)のみ。 島の名前は、父島から北へ兄島・弟島・孫島・嫁島・媒(なこうど)島・聟(むこ)島、 母島から南へ姉島・妹島・姪島、のように大きな島は人間の血縁関係となっている。 3. 地形・地質 フィリピン海プレート上にあるが、東側をその下に潜り込む太平洋プレートが形成する 南北に走る小笠原海溝がある。活発な海底火山活動により形成された岩石が現在の小笠原 の基盤岩となっている。その証拠の枕状溶岩がいたるところに見られる。石灰岩質の箇所 が一部に見られ、カルスト・ドリーネ・ラピエなどの地形を作っている。 4. 気候 亜熱帯気候。月最低平均気温は1月の18 度。空は青く日差しが強い。 5. 歴史 初めて記録上に現れるのは、1593年信州松本の城主小笠原貞頼が小笠原諸島を発見したと される記録。江戸時代に幕府が調査を行った記録があるが、脚光を浴びるのは幕末、1830 年欧米人15名が父島に定住し、捕鯨船への薪炭や水・食料の供給基地としてから。1875 年日本政府は小笠原開拓に着手し、1876年国際的に日本領土と認められた。1931年沖の鳥 pg. 1 島が日本領となる(現日本最南端)。1940年、小笠原の人口が7462人を記録。1944年、父 島大空襲、島民が本土へ強制疎開。1945年、硫黄島の日本軍全滅、米軍が父島母島占領。 1946年、米軍の直接統治下。1968年、小笠原が日本へ返還される。1972年、国立公園。1983 年、電話のダイヤル通話。1984年、NHK放送開始。1996年、地上波テレビ放送開始。2003 年、世界自然遺産候補。 小笠原の山野地を歩いているといたるところに戦争中の大砲の残骸や塹壕跡を見ること ができる。 6. 自然環境と抱える問題 *移入種・人間の生活による固有種の衰退・絶滅 *移入種と固有種の微妙なバランス *人間の生活と自然保護(特に空港建設などの計画) 貴重な石灰岩地形であり希少種の多い父島南島、母島石門地区は自然保護区で、立ち入 りにはガイドが必要。 自生する植物の40%、樹木では70%が固有種、陸貝類では実に90%が固有種。マルハチ・ シマホルトノキ・グリーンぺぺなど形状に珍しいものが多い。多くの希少種・絶滅危惧種 の植物の他、オカヤドカリ・オガサワラゼミ・コアホウドリ・アカガシラカラス

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