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岩瀬忠震関係文献抄 四訂稿 - home.hiroshima-u.ac.jp
岩瀬忠震関係文献抄(四訂稿)
―向島・ヘーン大尉表功碑探訪余聞―
HP 初載: 平成19(2007)年3 月1 日初稿作成
平成19(2007)年11 月17 日改訂稿作成(文献追加)
平成20(2008)年11 月24 日二訂稿作成(文献追加)
平成21(2009)年1 月30 日三訂稿作成(文献追加、補正)
平成22(2010)年9 月9日(木) 四訂稿作成(文献追加、補正)
〔目 次〕
1 はじめに …………………………1
2 岩瀬忠震関係文献抄 …………………………2
(1) 著書…………………………3
(2) 論説その他…………………………4
1 はじめに
ヘーン大尉(1839~1892)関係文献については、本HP に、「ヘーン大尉関係文
献抄」として、別に掲載しているが、同大尉の表功碑が墨東向島の三囲神社に
あることは、我が警察史関係諸書にもよく記載されている。ただ、長く行った
ことがなかった。今の地勢からすると、同表功碑がどうしてそのようなところ
にあるのか不思議に思う向きもあるようであるが、関東大震災以前の向島は、
なかなか風雅な地であったらしい。
・HP 「ドイツ大尉ヘーン表功碑」(平成22 年9 月9 日追加)
〈http://www18.ocn.ne.jp/~bell103/doitsu.html〉
上記表功碑のことを知るまでは、向島の史跡というか名所といえば、向島百
花園のことしか知らなかった。数年前に、坂元純凞(1843~1914)や国分友諒( と
もさね、1837~1877) が徴集隊の首脳として参加した明治 7(1874)年の台湾出兵
の絡みで、大倉喜八郎(1837~1928)に関心を持ったが、その折に、大倉雄二氏
(1918~? )の一連の著作( 『逆光家族』〈文藝春秋、1985.4〉、『男爵』〈文藝春
秋、1989.7〉、『鯰』〈文藝春秋、1990.7。文春文庫、1995.3.〉) を読んで、戦
前は大倉喜八郎の大別邸蔵春閣がここにあったことを知ったので、ある一日、
ヘーン大尉表功碑を見がてら、同別邸跡地を探しに行ったことがある。
・HP 「墨田公園」〈seek.co.jp/odaiba-sumidakouen.htm〉
この時、近くの白鬚神社に詣でたところ、境内に、永井尚志(なおゆき、介堂、
1/6
1816~1896。下記サイト参照。) の手になる「岩瀬鷗所君之墓碑」(下記サイト参
照。実態は顕彰碑。墓は東京都立雑司が谷霊園にある。) があり、この下部に、
岩瀬忠震(ただなり、鷗所、1818~1861)の事歴が記されていた。更に、白鬚橋東
側界隈を散策すると、岩瀬が蟄居していた「岐雲園」の紹介掲示があり、これ
らにはいささか吃驚した。日本開国に大きな功績を残した岩瀬忠震終焉の地は
まさに同地であったのである。
(下記サイト: 平成21 年1 月30 日追加)
・「永井尚志」(なおゆき、1816~1891):
〈/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E5%B0%9A%E5
%BF%97〉)
・HP 「岩瀬鷗所君之墓碑」: 〈http://oshimamd.sakura.ne.jp/nagaoka/121.htm〉
・HP 「雑司ケ谷霊園に眠る著名人」:
〈http://www.kosho.ne.jp/~ouraiza/jousetsu/list-bohi.htm〉
・HP 「巌瀬氏奕世之墓」:
〈http://oshimamd.sakura.ne.jp/nagaoka/146.htm〉
帰宅してから、昔買ったままだった松岡英夫(1912~2001) 『岩瀬忠震』( 中公
新書、昭和56 年 10 月25 日刊) を取り出して事実を再確認したが、その他は特
段何もしないでいた。
しかるに、その後、高橋雄豺博士(1889~1979)の著作目録(本HP 別稿参照。)
を作成中、同博士が晩年に林 鶴梁(1806~1
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