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「無思想の発見」 養老孟司著 ちくま新書 （一人称の不思議） 自分を表現する日本語は数多い。ワタシ、ワタクシ、オレ、オイラ、ボク、小 生、拙者、身共、それがしなど、他の言語では、自分を表現する言葉は一つで 済む。自分を示す言語が沢山あると言う事は、実は「定まった私」なんて無い と言う事ではないのだろうか。ジブンと言う言葉は、関西弁では相手を指す事 がある。「ジブン、人参嫌いやろ」などと相手を指して言う。「アンタ、人参嫌 いだろう」と言う意味である。関西だけではない。江戸の店屋の番頭が、揉み 手して「手前どもは??」。所が、下町の喧嘩になると「テメー、この野郎」と 言う。テメーは当然「手前」に由来する。或は、小さい子に対して「ぼくちゃ ん、駄目よ。そんなことしちゃ」と叱っているおばさんがいる。此処でもボク は、アンタと言う意味である。要するに日本語では、俺とお前はお互いに行き 来する。こんな言語が他にあるであろうか？これは単に「状況に依存するその 場の表現に過ぎない」のである。その根底にあるのは「実体」にたいする深い 確信である。だから、日本では以心伝心なのである。 英語で、I can speak Japaneseと言う。アイと言う主体?実体が歴然としてい る。こういう言語を毎日使っていると「主体的自己の存在」なんて当然だと言 う事になる。しかし、その人が日本に生まれていれば「アイという主体なんて、 何処にもなくなる」つまり、脳味噌が自分の都合で勝手にそう言っているだけ である。俺もお前も一緒くたの世界に、ある日突然、実存的主体としての「自 己」が侵入してきた。これを西欧近代的自我と呼ぶ。英国に留学した夏目漱石 は、近代的自我を良く知っていた。しかし、漱石は近代的自我を導入せよと主 張したわけではない。西洋風の「個」と「世間」との対立を、身を持って感じ 大いに悩んだ。だから胃潰瘍になったのである。西洋の「個」には長い歴史が あり、社会的必然がある。それが無い日本の世間に「自我」だけ入って来ても、 根本から定着するはずがない。 日本語に於いては、「私」と言う言葉が「自分」、個人self という意味と「公私 の別」と言う時の「私」private という二重の意味を持っている事自体が普通 ではない。日本の世間における私と言う最小の「公的」単位、それは個人では なく「家」であった。新憲法はそこに「個人」を持ち込んだ。「自分」が最小の 私的単位だと「公」に決めたのである。西欧ではその公権力に枠をはめた。公 が私に干渉してはならない範囲、それを「人権」として定めたのである。首相 が靖国に参拝すると、ジャーナリストが「公人として、ですか？私人として、 ですか？」と必ず聞く。私が首相なら「個人」ですと答えるであろう。 （１） 憲法はその「個人」に思想?信教の自由を与えているからである。江戸の人が 「公私の別」を如何に良く心得ていたか、それは襲名という習慣に示されてい る。これは役者だけではなく、問屋、大商人、庄屋にも同じ習慣がある。ある 問屋で、主人が代わる。代が替ると言う事は私的なことである。お得意さんに は無関係である。そこで主人が襲名するのである。名刺だって同じことだ。肩 書を名刺の真ん中に印刷すれば良い。どうせ、会社の人事が替ったら別の人が やって来るのだから。 （誰が自分を創るのか） 実存的主体としての私なんて無い。意識的な私とは実は「点」であって中身が ない。まさに「われ思う、ゆえに我あり」である。その「我」の内容は「思う」 としか規定されていない。「私」日々変わっていくのに、意識はひたすら「同じ」 を繰り返す。ジョン?ロックは言う「たとえ指を切り落としたとしても、自己 が減ずることは無い。肉体は自己ではないからである」と。イギリス人である ロックは「自分は身体ではない、身体は自分ではない」と思っているらしい。 これは西洋がキリスト教世界で、キリスト教では「霊魂不滅」だからである。身 体は霊魂の仮の住まいなのである。そうでないと神は「最後の審判」が出来な いからである。「永遠に変わらないものとしての魂」が無ければならない。だか ら「自己同一性」が暗黙の内に当然視されるのでる。西欧の「近代的自我」と 言うのは、中世以来の「不滅の霊魂」を近代的?理性的に言い替えたものだと 私は思っている。 多くの人は「同じ」と「違う」を単純に反対語だと思っている。でも、全く同 じものはない。目の前に二つ何かがあれば、それは「違う」ものに決まってい る。感覚で吟味すれば、物事は全て「違ったもの」である。それを概念化すれ ば「同じもの」になる。つまりそれは反対語と言うより補完的なのである。私 が思っているリンゴとあなたが思っているリン