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25篇日语短文翻译练习
1.
▼大晦日(おおみそか)の深夜から元日の早朝にかけて、時間の流れは魔法のようだ。さっきまでざわついていた年の瀬の空気が、数時間眠って目覚めれば、静かにひきしまっている。年あらたまる和やかな朝は、いくつ歳(とし)を重ねてもありがたい
从除夕的深夜到元旦的早晨,时间的流逝就像是着了魔法,直到刚才还喧闹非凡的年关氛围,经过了数小时的睡眠再一睁眼,竟然是一片寂静的世界。新桃换旧符的祥和清晨,无论反复多少年都是求之不得的。
▼思えば暮れから新春への10日間ばかり、私たちは毎年、不思議な時空を通り抜ける。師走の25日まで、街はクリスマス一色に染まる。それが、あくる日からは、ものの見事に迎春モードに一変する
回想起来,从岁末到新春的10天,我们每年都要度过这段令人费解的时空。一直延续到岁末25日,满大街是圣诞色彩尽染,可到了第二天,这一氛围竟摇身一变成功地改换成了迎春的模式。
▼ゆうべの除夜の鐘で百八煩悩を消し去って、きょうは神社で清々(すがすが)しく柏手(かしわで)を打つ。キリスト教に始まって仏教から神道へ。いつもの流れに身をゆだね、この国の年は暮れ、年は明ける
昨天除夕夜的钟声荡涤了所有一百零八个烦恼,今天又将前往神社清心静气击掌祈福。从基督教开始经佛教最后进入神道,在委身于这一通常流程的过程中,这一国度辞岁末,启新年。
▼日本海側は大雪の正月になった。三が日に降る雪や雨を「御降(おさがり)」と言う。めでたい日の生憎(あいにく)の空模様を、ご先祖は天からの授かりものとして美しく言い換えてきた。言葉に宿る霊力が幸をもたらすと信じた民族ならではだろう
日本海一侧是一个大雪纷飞的正月。在这里人们将正月1-3日连降的雪雨称之为“御降”。从老祖宗开始就将这吉庆之日难得的天况认为是老天爷的恩赐并冠以美好的称谓。这恐怕是只有对于言语中凝聚着的神灵之力必将为我们带来幸福的说法深信不疑的民族才具有的独到的思维吧。
▼そんな「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」は3種の文字を持ち、ゆえに三つの幸???がある。「幸せ」と「しあわせ」と「シアワセ」は同じようで微妙に違う。たとえるなら、「シアワセ」は冷えた五臓に熱燗(あつかん)の一杯がじんわり広がるとき。「しあわせ」は赤ちゃんの寝顔に見入る父さん母さん、といったところ
在此信奉“言语神灵赐福与人的国度”具有3种文字,因此也拥有三个幸福,“幸せ(汉语)”、“しあわせ(和语)”和“シアワセ(西语)”三词貌似相同却又存在着微妙的差异。打个比方来说,“シアワセ(西语)”就是一杯烫热的烧酒润润地温暖着冰冷五脏的时刻;“しあわせ(和语)”就是注视着婴孩熟睡笑脸的父母深有感受的时候。
▼「幸せ」は人生航路の順風だろうか、漢字は構えが広い印象になる。一族再会、おみくじの大吉、雑煮の湯気……何でもいい、年の初めの幸を喜び、気分新たに歩み出したい。混迷の世であればこそ、なお。
“幸せ(汉语)”恐怕要说是人生道路一帆风顺了吧,汉字给人以涉猎广泛的印象。一家重逢,抽签大吉以及杂烩的腾腾热气……任何场合都适用。希望读者们喜庆一年之初始的福分,以焕然一新的面貌走向未来,特别是在世态混沌之时,更应如此。
2.
▼「日本の憲法は押しつけられた」「いや、そうではない」と戦後68年の今も論議は続く。その憲法の草案づくりに加わったベアテ?シロタ?ゴードンさんは、いつもこう語った。「日本の憲法はアメリカよりすばらしい」。そして憲法が日々の暮らしに根を張ることを願ってきた
“日本的宪法是强加于人的”“不不,并不是这样”,直到战后68年的今天,这一争论仍在继续。曾参与宪法草案起草工作的贝雅特?西洛塔?戈登(Beate Sirota Gordon)则一再强调说,“日本的宪法比美国的都好!”,并且期待着这一部宪法植根于日常的生活。
▼憲法24条は男女の平等をうたう。草案の人権小委員会の一員として22歳でそれを書いた彼女の訃報(ふほう)が、米国から届いた。89歳。ただ書いただけでなく、戦後の日本を見つめ続けた人だった
宪法第24条倡导男女平等。作为草案人权小委员会的一员,22岁时写就这一条款的她,其去世的讣告从美国传到了日本。她不仅是一位执笔这一条款的人,还是一位始终关注着战后日本的人。
▼戦前に一家で日本へ来た。少女時代を東京で過ごし、二?二六事件にも遭遇する。開戦前に単身渡米して学び、戦争が終わると、両親を捜すために連合国軍総司令部の要員に応募して日本に戻った
战前举家来到了日本,在东京度过了她的少女时代,并遇到了二?二六事件。开战之前只身渡美完成学业,战争结束后,为了寻找父母应召成为了联合国军司令部的要员重返日本。
▼憲法施行の年に離日したが、その後も訪日を重ねた。各地での講演は100回をゆうに超す。かつて同僚の取材に
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