千岛-北海道立図书馆.DOC

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千岛-北海道立図书馆

北方資料室所蔵資料展 海峡にのって、千島 ~日本人のいる風景を探して~ 会期:平成23年10月4日(火)           ~12月27日(火) 会場:北方資料展示コーナー はじめに 千島には全部で約20カ所に島々あります。 千島というよりは、北方領土問題として国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島の4島についての、ロシアとの政治的な問題としてなじみがありますが、その昔は他の多くの島にも日本人が住んでおり、多くのドラマがありました。 今回は、山や海などの厳しく豊かな自然に向き合い、千島の人たちがどのように暮らしていたのかを当館所蔵資料の一部から垣間見たいと思います。合わせて、千島の歴史研究について多く執筆されている、川上淳氏(札幌大学教授?北海道史研究協議会会員)を講師にお迎えして平成23年11月6日に開催された講演会「クナシリ?メナシの戦いとラクスマン来航」の展示資料もご紹介いたします。 目 次 1.千島略年表            ???1 2.千島を発見?調査した人びと   ???4 3.講演会「クナシリ?メナシの戦いとラクスマン の来航」展示資料       ???5 4.千島に暮らした人々        ???7 5.新天地へ挑んだ人たち-千島文学案内-???8 1.千島略年表 1644年 松前藩が千島列島39の島を描いた『正保御国絵図』を幕府に献上。 1697年以前 シュムシュ島にカムチャツカ半島の先住民イテリメンがわたり住 みついていた。後にパラムシル島に住むアイヌと結婚が進み、こ れらの島々には両民族の混血が多かった。 1711年 最初に千島に来たロシア人コジレフスキーによると、「シャシコタン 島はクリル人やエトロフ島からのアイヌが交易に集まる場所である。 ウルップ島にはエトロフ島と同じ住民がおり、クナシリ島から購入し た木綿や絹布をシュムシュ島?パラムシル島に持参し、ラッコ?狐? 鷲の羽と交易している。クナシリ島もエトロフ島と同じ種族のものが 住んでいる。(1713年)」 1731年 国後と択捉のアイヌがはじめて松前藩を訪ねる。 1754年 松前藩がクナシリ場所を開いて商船を進める。 1759年 松前藩士が厚岸でアイヌよりロシア人南下の報を聞く。 1778年 根室?ノッカマップにロシア船が来航した。 1779年 松前藩はロシアと正式に会見し、日露交渉する。 1783年赤蝦夷風説考工藤平助著 オランダ人と交友のある蘭学者などから入ってくる帝政ロシアの情報をまとめ 1785年 老中田沼意次が総勢37人を松前と蝦夷地に派遣。 1786年 最上徳内が幕府の命により得撫島まで調査する。 1789年 クナシリメナシの戦い 1792年 ロシア使節ラックスマンが根室に来航 1798年 総勢180名大規模な蝦夷地調査隊幕府派遣。近藤重蔵が最上徳内らと択捉島に渡って「大日本恵登呂府」の標柱を 建てた。 1799年 高田屋嘉兵衛が海峡の潮路を調査し択捉への安全な航路を 開いた。幕府は東蝦夷地を直轄領とする。 1800年 択捉島に十七カ所の漁場を開く。 19世紀前半 幕府はエトロフ島までを日本の支配下に置き、ウルップ島からロシア人を立ち退かせ無人化して、ウルップ島をロシアにも日本にも属さないという政策を推進した。 1803年 幕府はクナシリ?エトロフのアイヌらにウルップ島に渡航するのを禁 じました。それにより、ラショワ島のアイヌとエトロフ島のアイヌの 往来ができなくなった。 1804年 『辺要分界図考』近藤 重蔵∥著 ウルップ島に土着のアイヌはいない。シムシル島以北にはほぼ全島にアイヌ人が住んでいたことが確認されている。 1806年 間宮林蔵が択捉島に渡り測量した。 1807年 ロシア軍艦が択捉島のシャナ会所(交易場所)を襲撃し間宮林蔵も巻 き込まれる。 1811年 千島列島の測量に来ていたゴローニン艦長を国後島で捕らえる。 1849年 松浦武四郎が択捉島に渡る。 1854年 日露通好条約(下田条約)締結 1854年 前田夏蔭が幕命を受けて『蝦夷志料』(『千島志料』)の編集に携わ るが1865年の完成を前に没する。全210巻の一大資料集。 1875年 樺太千島交換条約(全千島列島が日本領)締結 1878年 ジョン?ミルン 最初の千島調査 英国人鉱山技師?地震学者。択捉島から占守島まで調査。北海道における竪穴群や土器、石器は千島アイヌの祖先のものであるとした。 1884年 『北海道志』大蔵省∥編  1885年 『開拓使事業報告』大蔵省∥編  1885年 『千島列島黎明記』H?J?スノー∥著  千島にラッコ猟のため1872年から20年ほど滞在した。 1893年『千島実業地誌』太田代 十郎∥著 千島の国防の重要性が明らか

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