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痴癖 - 山形大学人文学部
山形大学人文学部研究年報 第9号(2012.2)11-29
画人伝記と「癡癖」
―― 明末清初の画家・陳洪綬の画家像を中心に
西 上 勝
一
「癡癖」という語は,例えば南宋の詩人 ・范浚 (1102-1150)の七言詩 「姪の伯通,端杲と
とも つね と ていけい
同に盧仝の体に效う」の劈頭に,「一春 癡癖にして門長に扃ざし,両耳に聞かず 鶗鴂 (ホト
トギス)の声」と見える。「癡」と 「癖」はどちらも常識から偏向した奇行を意味する文字で
はあるが,この詩で言われる 「癡癖」とは,世の習いにあえて従わない風変わり,あるいはエ
クセントリックな性癖を意味するであろう。「癡」なり 「癖」なりといったこれらの文字は,
画家の自号としてのみらなず,歴史記述に用いられた例がある。その最もよく知られ,中国に
おいて後世への影響でも顕著だったものは,中国古代を代表する画家の一人である顧愷之の伝
記である。
あやまり
七世紀に編纂された 『晉書』は,「好んで詭謬の碎事を採り,以て異聞を広く」して史伝に
組み入れていることは,趙翼 (1727-1814)『廿二史剳記』が指摘するように,現在では広く知
られている事実だが,『晉書』巻九十二文苑に排列された顧愷之(346-407)の本伝も『世説新語』
を主な出処とする説話を綴り合わせて構成された文章である。自作の箏の賦の出来栄えを誇っ
た 『世説新語』文学篇に記録される説話が冒頭に配置されるように,『晉書』編纂者は顧愷之
が文章と画作の才に恵まれていたことを中心に据えながら叙述を進める。そして末尾に,顧愷
之の 「三絶」,すなわち才絶,画絶と癡絶に言及する逸話を引き全体を締め括っている。顧愷
之の三絶に関する言及は,伝記の冒頭に置かれた 『世説新語』文学篇第九十八条の説話に付さ
れた劉孝標の注に引かれる宋の明帝の 『文章志』に見えるものであって,『世説新語』の本文
ではないのだが,『晉書』編纂者はこの記述が顧愷之の人となりを最も端的に表現するものと
して注目し,ここに配置したにちがいない。劉孝標は 『世説新語』のこの条については 『文章
志』のほかにも 『中興書』と 『続晉陽秋』という二つの史書から引用した文章をさらに注とし
て引用する。『続晉陽秋』の「愷之の矜伐は実を過ぐ。諸年少相い稱誉に因りて以て戯弄を為す」
という文章からも推測できることだが,劉孝標がこの引用を行うのは,顧愷之に対する諷刺,
からかいの風潮が当時広くあったことを読者に認識させる意図から出るものだ。才絶,画絶,
癡絶と列挙される三種の超絶技巧も,桓温が顧愷之の体内では 「癡」と 「黠 (賢さ)」とが半
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画人伝記と「癡癖」――西上
ばしていると評したことに由来する言葉であると 『文章志』が記すように,『晉書』編纂者た
ちは顧愷之が備えていた言語の運用能力に対しては価値を認めつつも,桓玄に簡単に誑かされ
てしまった愚かさを 「癡」と見なすとともに,「才」と 「癡」を顧愷之の内部において仲介す
る役割を,「画」すなわち絵画制作の技量に担わせようと意図しているのではないだろうか。
肖像画制作に典型的に現れた顧愷之の常人離れした技量が,世の習いからみれば極めてエクセ
ントリックな言動を裏付けるものなのだ。画才と癡癖の二つが必然的な関連を有するものであ
ると 『晉書』編纂に携わった七世紀の知識人たちには受け止められていたと考えられるのであ
る。
顧愷之の場合のように画作と奇矯な言動とを関連づける言説は洋の東西を問わず広く見られ
るものではないかと思われる1が,中国では画家の人となりに言い及ぶ際にこの顧愷之に由来
する三絶が,繰り返し想起され
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