おやすみまえにくちづけて 望月の场合.doc

おやすみまえにくちづけて 望月の场合 1　おやすみまえにくちづけて　望月の場合 彼を待っている時間は、とても長いようで過ぎてしまえば短くも感じた。電話口で何度も声を聞いたし、彼から届いた手紙は擦りきれてしまう程に読み返した。こちらから書く時には、あれも伝えたいこれも伝えたいという沢山の想いがぐちゃぐちゃになって、上手く纏まらず幾度も書き直した。兄に言われ、ほんの少しだけ取るようにした自らのお小遣いで買った便せんも、何枚失敗したか分からない。けれど、その全てを私は手元に残している。最初こそ捨てようかとも考えたが、それが余すことなく彼への想いだと気付いた時、愛おしくも感じたからだ。 「ふぅ」 湯から上がり、小さくため息を吐いた。していることなどいつもと何も変わらないのに、部屋に戻れば彼がいると思うと、それだけで胸が高鳴り緊張してしまう。自らの部屋の前で襖に手を掛け、早鐘を打つ鼓動を落ち着けるように、もう一度息を吐いた。 「望月、さん？」 おずおずと名を呼び、手を横に滑らせる。 だが、そこに彼の姿は無かった。不安になるわけではないが、あると思った姿がないのは淋しいものだと思う。一秒でも早く、ずっと逢いたいと望んでいた人だから、余計にそんなことを思ってしまうのかも知れない。 ——私はいつまで経っても、彼に『恋』をしている。 そっと襖を閉め、私は他の場所に彼の姿を探した。しかし泊まりがけで取材に出掛けている兄のいない家の中は暗く、ともすれば足が冷えてしまいそうだと思った。彼の陽のように温かな笑顔を求める。何処だろう。何処にいるのだろう。 無意識に速くなる足音。 「あ……」 漸く足が止まった場所は奥の間だった。廊下に静かに佇むその姿に、私は思わず息を呑んだ。満月の光に照らし出される影を、しだれ咲く花がさやさやと揺れ飾っている。浴衣を着、ほんの少し頭を上に向け、視線を上げる彼の姿が綺麗だと思った。 そこに吹き抜ける静かな夜風。火照る頰を撫でるのと同時に、揺れた花びらが一枚、彼の頭の上に乗った。けれど、彼は気付いていないらしい。瞬きもせず、じっと目の前の景色を眺めている。何だかその姿が可笑しくて、気付けばふっと笑みが零れていた。 「え……」 私の様子に気付いたのか、彼がこちらに顔を向ける。少し拗ねたように恥ずかしそうな表情を覗かせる彼。はっとして直ぐに私は口元を押さえる。だが、再び彼の目を見ると、もうそこには先ほどの彼の照れはない。 真剣な表情で、何も言わず私を見つめていた。 「どうか、なさいました？」 驚きに僅かに首を傾げると、彼はまたはっとした様子で視線を逸らし、その手で己の目元を覆い隠した。ほんのりと染まる頰が桜色に見えたのは、気の所為だろうか。 「あの、望月さん……？」 「あ、すみません。まじまじと。少し、見惚れてしまって」 再び声を掛けると、彼はその手を離し今度はきちんと私を見て微笑んだ。だが、今度は紡がれた言葉に私が照れてしまう。どうして良いのやら分からない羞恥が襲い、私は己の頰を両手で押さえ、思わず俯いてしまった。 「そんなに恥ずかしがらないで下さいよ。素直にそう思っただけなんですから」 「だから、恥ずかしいんです。それに、望月さんも照れていらっしゃったではありませんか」 「……それを言われると、何も言えないんですけどね」 照れ隠しに呟いてみせれば、彼も困ったようにはにかんだ。互いに顔を見合わせてぷっと小さく笑みを零し合う。 ああ、幸せだ。彼が傍にいて、こうして微笑み掛けてくれる。 「ごめんなさい。ただ、浴衣って、少し砕けた服装で……そんな貴方が隣にいてくれるっていうのを実感したら、何か、嬉しいのと、恥ずかしいのと。あと、幸せだなと思ったんです」 彼は優しく笑い、どうぞと己の手を自身の隣に置いた。私は促されるようにそこに腰掛け、そっと彼の髪に落ちた花びらを払った。驚いた顔を見せる彼に今度は私が微笑む。「この花びらが貴方に落ちるまで、私も貴方に見惚れていました」、と。すると、「言うのは良いけれど言われるのは思った以上に照れるものですね」と、彼は困ったようにはにかんだ。この少し恥ずかしそうな笑みが、私はとても好きだ。温かくて優しい手の平が、音もなく重ねられる。 ほんの少し前まで恐れていた沈黙も、今は心地の良いものに変わっている。明るい月影を、こうして彼と見つめられることを、私も幸せに思う。ふと見ると、彼はこちらを向いていた。不意に目が合い、心臓が跳ねた。 「貴方にも、花びらが付いてますよ」 身体を少しだけ捻り、彼は繫いでいない方の手で私の髪に触れる。顔が近づくと彼の香りがふわりと漂い、頰を掠めた。 「やっぱり、何だか恥ずかしいですね。平静を装おうと思っても、上手く隠し切れません」 彼が言わんとしていることが分からず返答に窮していると