日本文学史(古代部分)日文版.ppt

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日本文学史(古代部分)日文版

式亭三馬 (1776~1822) 江戸後期の洒落本?黄表紙?滑稽本?合巻作者。山東京伝らの影響を受け、洒落本以下いろいろな分野の戯作に筆をふるった。本領を発揮したのは滑稽本で、写実と皮肉を特色とし、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)と並び称された。代表作に、滑稽本『浮世風呂』『浮世床』など。 47才で死去。 式亭三馬(1776~1822) 式亭 三馬は文筆の傍ら自家製の化粧水を売っており、「江戸の水」は当時の 大評判をとるほどヒットした商品。自分で広告文も書いている。 鴨長明ゆかりの京都下鴨神社 吉田兼好(菊池容斎?画、明治時代)) 吉田兼好(1283ごろ??) 鎌倉-南北朝時代の歌人、随筆家。 1283年ごろの生まれ。生家は京都吉田神社の神職。卜部兼顕{うらべ-かねあき}の子。慈遍の弟。堀川家、のち後二条天皇につかえて左兵衛佐{さひょうえのすけ}となる。30歳ごろ出家遁世{とんせい}し、二条為世{ためよ}に師事。為世門四天王のひとりにあげられ、「続{しよく}千載和歌集」以下の勅撰集に18首はいる。50歳前後に随筆「徒然草」をまとめたといわれる。1352年以後に死去。俗名は卜部兼好{うらべ-かねよし}。 兼好法師像 ③中世(1192~1603) 主な作品 ?1205年  『新古今和歌集』 藤原定家ら ?1212年  『方丈記』    鴨長明 ?1220年頃 『平家物語』 ?1331年頃 『徒然草』    兼好法師 1205年 『新古今和歌集』 藤原定家ら 第八番目の勅撰和歌集。二十巻。後鳥羽院の命により、源通具(ミチトモ)?藤原有家(アリイエ)?藤原定家(サダイエ)?藤原家隆(イエタカ)?飛鳥井雅経(アスカイマサツネ)?寂蓮(じゃくれん)(途中没)の六人が撰した。1205年成立。歌数約二千首。現実から遮断された情趣の世界に心情の解放を求めるロマン的傾向を基調に、余情妖艶の美をたたえた歌が多い。本歌取り·初句切れ·三句切れ·体言止めなどの技法が多用され、万葉調·古今調と並ぶ歌風を樹立、後世に大きな影響を与えた。八代集の最後。 藤原定家 (1162~1241) 鎌倉初期の歌人。父は千載和歌集を撰進した歌人藤原俊成。幼少の頃から父に歌の指導を受け、また西行法師や平忠度らと親交を持ち、天性の歌心に磨きをかける。1178年、16歳で初めて歌合に参加。1180年(18歳)、源氏が挙兵し源平の争乱が勃発。この年から定家は日記『明月記』を73歳まで56年にわたって書きつづる。19歳で『初学百首』を、20歳で『堀河題百首』を詠んだ。その内容の素晴らしさに、父?俊成は感涙にむせんだという。 藤原定家(1162~1241) 【名歌】 来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩{もしほ}の身も焦がれつつ(「小倉百人一首」) 《訳》 来ない人を待って、あの松帆の浦の夕なぎのころに焼く藻塩のように、わたしは恋しさに身も焦がれながら日々を過ごしています。 《参考》 訪ねて来ない男を身も焦がれる思いで待ちわびている女の立場で詠んだ歌。第二句から第四句までは、第五句を導く序詞であるが、その情景は恋の思いの象徴的表現にもなっている。『百人一首』に定家が自撰した作である。 藤原定家 しら玉の をだえの はしの 名も つらし みだれて をつる 袖のなみだに 1212年  『方丈記』    鴨長明 方丈とは、一辺が「一丈(約3m)」の正方形のことで、そのような庵の中で書かれたもの。 無常観?厭世思想の立場から世俗を逃れた隠者文学の典型として独自な価値をもつ。文体は対句を多用した和漢混交文。 京都下鴨神社にある方丈庵のレプリカ 1220年頃 『平家物語』 軍記物語。十二巻(流布本)。その一部は「平曲」として盲目の琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。平家一門の興亡を描いた作品。 諸行無常の仏教的無常観を基調とするが、一方、たくましく勃興しつつある武士階級の姿が叙事詩的に描かれる。文章は七五調を交えた流麗な和漢混交文。中世軍記物語の代表的作品で、後代の文学に大きな影響を与えた。 祇園精舎の鐘の声   諸行無常の響きあり ?沙羅双樹の花の色   盛者必衰の理をあらわす ?おごれる人も久しからず  ただ春の世の夢のごとし ?たけき者も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ 訳 祇園精舎の鐘の響きは、全ての作られたものは一定の状態に留まらず 移り変わるという「諸行無常」の精神を語っている。??釈迦がなくなる時に枯れたという沙羅双樹の花の色は、勢い栄えるものも 必ず滅びる「盛者必滅」の道理をあらわしている。??おごり昂ぶる者も長く続くためしはない。ただ春の夜の夢のように、 はかないものである。??勢いの盛んな者も最終的には滅びてしまう。 まるで風の前の塵のようなものだ。

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