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小笠原渡航报告
小笠原渡航報告
筑波大学生物資源学類 伊藤聡史
isato@ni.aist.go.jp
1-1、はじめに
小笠原諸島は、東京から南へ約 1000 km に位置
する海洋島です。周囲は外洋で、海により完全に隔
絶された島です。これまでに他の陸地と陸続きにな
ったことがないために、小笠原に生息する生物は島
において独自の分化・適応放散を進めてきました。
数多くの固有種を生み出し、東洋のガラパゴスと呼ばれる所以です。ボニナイ
トと呼ばれる火山岩で地質が構成され、保水力に乏しいことから、乾性低木林
が発達しています。さて、このような生態系・地球科学的研究はこれまで数多
くなされており、これら研究の蓄積は小笠原の生態学的・地質学的特異性とい
う価値を確かなものにしています。
近年、日本における最初の世界自然遺産登録から10 年が経ったことから、新
たな自然遺産推薦の動きが高まり、日本は、琉球および南西諸島、知床半島、
そして小笠原を自然遺産候補地として選定してきました。そして先の2005 年7
月には知床半島が世界自然遺産に登録されました。現在、小笠原においても、
世界自然遺産への登録についての議論が活発になっています。
しかしながら、先に登録されている屋久島・白神山地・知床半島では、「生
態系および自然環境の保全 」を最優先として進めた結果、古くからその土地で
生活してきた地元住民の生活との摩擦が、数多く報告されています。白神山地
におけるマタギの例がそのひとつです。かつては自分の庭のように、白神山地
の中で熊を撃ち、それを生業として生きてきたマタギは、世界自然遺産登録の
ために自分の庭を奪われたと表現しています。世界自然遺産登録の「 自然環境
保全 」のために、地元住民の「 生活環境保全 」が蔑ろにされてきた背景があ
ります。私は、世界自然遺産登録地では、社会学的研究による生活環境の価値
の裏づけが、理学的研究のそれに対し、しばしば乏しいものであると感じてい
ます。
私は小笠原についての情報を得ようとしたところ、茨城に住んでいるために、
ガイドブックはもちろんのこと、図書館で検索をかけても非常に少ない書籍し
か得ることができませんでした。都立大学のOPAC と筑波大学のそれとでは書
籍数が 100 冊程度も違ってきていました。今回、1 ヶ月間時間を空けることが
出来たために、実際に渡航するに至りました。
1-2、小笠原の歴史の独自性 (事前調査 )
日本ですでに登録されている世界自然遺産地
域については、屋久島には、日本書紀にも記載が
見えるように、1000 年以上に及ぶ人と自然との
かかわりの歴史を持ち、白神山地にも、マタギに
代表されるような、山で永らく暮らしてきた歴史があります。知床半島におい
ても、アイヌ民族が古くから住んでいました。このように、各自然遺産地域に
は、人と自然との関わりの文化が見受けられ、持続的に利用し続けてきた歴史
があります。
一方で小笠原は、人が定着し始めたのは今からおよそ 200 年前です。ナサニ
エル・セーボレーというアメリカ出身の船乗りをはじめ、数十人の西洋人・ポリ
ネシア人が移住したのが始めです。彼らは、近海を通る欧米の捕鯨船を相手に
水や食料の補給や、島の開拓で生計を立てていました。無人島( ムニンシマ )
と呼ばれていた通り、それ以前には水がない為に、人は住んでいませんでした。
小笠原上陸の確かな最古の記録は、1670 年に阿波のみかん船が江戸へと向かう
折、強風のために東へと流され、母島に漂着し、父島、聟島、八丈島と島伝い
に生還を遂げたというものです。
ペリー提督が小笠原を日本に開国を迫るための補給基地として利用した記録
もあります。
日本の領有が決まって以後( 1862 年 )は、明治期には、日本からの移民に
よる開拓( 特に施設栽培が始まる以前、小笠原は内地が冬季でも夏野菜を作る
ことが出来たために、かぼちゃなどの夏野菜の出荷で一時は総理大臣の年収に
匹敵する収入を得ていました )、昭和期には、太平洋戦争における日本の最終
防衛線としての軍事施設の配備と、自然は手を加えられ続けてきました。終戦
前には島民の強制引き揚げが行われ、敗戦後の 23 年間は、在来島民( 欧米系
島民 )の
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