近代日本文化史.docVIP

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近代日本文化史

『近代日本の文化史』 第七巻 『総力戦下の知と制度』 「総説: 多民族国家における国民的主体の制作と少数者マイノリティの統合」 (一) はじめに アジア太平洋戦争後の歴史意識を考える上で、1945年の日本帝国の解体とアメリカ合州国による日本の植民地化という条件を看過することができないことはいうまでもない。東アジアの歴史は、アメリカ合州国の東アジア支配を正当化する方向で書かれてきた。そこで、忘れてはならないのは、東アジアで日本の帝国主義を免罪するため?も、この歴史は書かれて来た点である。日本の帝国主義を免罪は、アメリカ合州国の東アジア支配の一環を成してきたからである。一見すると日本の敗北を謳歌しアメリカ合州国の正義を誇示するように見えるこの歴史には、植民地支配がどのように人々を物理的なだけではなく心的にも傷つけるのか、植民地支配はどのように民族主義や人種主義を産み出すのか、人種主義は国民主義とどのように共犯関係を結び、植民主義の遺制から人々を解放するにはどのような手立てが採られなければならないのか、といった戦争によって深く痛められた人々にとって死活にかかわるはず問いを意図的に看過させるように編纂されていた。それだけではない、この歴史には、植民地支配と戦争遂行した指導者や政策発案者、植民地主義の暴力を支えた制度やその管理者などに対する批判を拡散させ焦点を結ばないようにさせる仕掛けが巧妙に組み込まれてもいたのである。 このような歴史は、合州国の体制擁護派の歴史家だけでなく、日本の歴史家によっても書かれてきた点は注意されなければならないだろう。日本帝国の敗北後の合州国による日本の支配は決して日本の国民主義を否定せず、むしろ、日本の国民主義を密かに保護し擁護するものであったために、合州国のあからさまな軍事?政治?経済的支配に反対する知識人は自分達を情動的に動かしていた戦後の日本の国民主義と合州国のヘゲモニーの間の相互依存関係を見ないで済ませてきた。戦後の合州国と日本の歴史意識には自国の植民地主義的過去の否認を通じた共犯関係とでもいうべき相互依存があったのである。さらに、合州国の国民主義とその帝国主義的な性格については、合州国の東アジア研究者の間は反省意識がほとんどなかったし、日本の帝国主義的国民主義と合州国のそれを同じ土俵の上で評価するという、最も基本的な作業に対する禁忌が支配的であった。だから、長らく、1930年代から敗戦に至るまでの日本歴史は、合州国の日本研究では、一方的な非難の対象になることはあっても詳細な分析が施されることが少なかった。詳細な分析がブーメラングのように合州国に還って往くことを合州国の日本研究者は恐れたのである。そこで、超国家主義という用語による問答無用の非難が日本の帝国主義の在り方のより詳細な分析を妨げてしまっていた。日本の帝国主義は、始めから、民族主義的な特殊主義的な性格をもち、米国の国民主義が多民族を包容する普遍主義的な傾向をもつのに対し、日本の国民主義は他民族を許容しない特殊主義的なものである、という前提が問答無用に押し付けられ、この前提を戦後日本の学者も物怪の幸いと受け容れてきたのである。また、合州国の日本研究では、日本の帝国主義を始めから西洋のそれとは根本的に異質なものとして決めつけ、日本の帝国主義を研究するとしても、日本の帝国主義に比べたら、合州国のそれはずっと人間的であることを証明するといった、まさに、「帝国主義者コンプレックス」丸出しの、始めから結論の決まったような研究が多くあったといってよい。 他国の帝国主義との違いを強調することで自国の国民主義や帝国主義を正当化したり救済することが問題なのではない。他国の帝国主義のなかに同罪の証しを見つけることで、自国の過去への負い目が軽減されるという植民地的罪責感の否認の機制は、それはそれとして考察されなければならないだろう。しかし、現在進行中の帝国主義やその遺制に如何に対決するかという政治的必要性から発想するとき、植民地的罪責感の否認の機制の解析とともに、日本帝国主義の他の帝国主義との共通性や国民主義一般との比較は欠くことのできないものであることが判る。国民主義特有の例外主義 ー それが日本のものであろうと、合州国のものであろうと、あるいはアジアの植民地主義の犠牲になった人々のものであろうと ー によって、日本帝国主義や合州国帝国主義への問いかけを抑圧してはならない。特に、日本帝国の解体に至る1930年代中葉から敗戦までの歴史は、現在私したちが目撃しつつある新たな帝国主義形態を考察する上で決定的な重要性をもっている。1930年代の日本帝国の指導層や知識人は、旧来の植民地政策の限界に直面すると同時に、新たな国民主体の制作を大胆に模索せざるをえない状況

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