3馬ノ山未墾地解放.docVIP

  • 0
  • 0
  • 约9.97千字
  • 约 13页
  • 2017-01-06 发布于天津
  • 举报
3馬ノ山未墾地解放

3 馬ノ山未墾地解放 (1) 養草山と共有地  馬ノ山といえば古戦場、古墳群としてよく知られ、近年頂上まで遊歩道もついて自然を求める観光客が相次ぎ、頂上からのすばらしい景観に嘆声をあげている。 養草山と共有地  この馬ノ山は古くから旧羽合3か村の共有地あるいは、養草山(草刈場)として管理利用されていたが、戦 だった馬ノ山 後の農地解放によって土地、山林の全部を売却処分し、従来の管理組織であった「長瀬、浅津、橋津村共有地組合」と「長瀬、浅津、橋津村養草山組合」の2つの組合は解散した。そして未墾地の解放によって売渡された土地は橋津村住民の手にわたって、食糧難の当時からしばらく畑に開墾して耕作されていたが、食糧事情の好転とともに近年荒地あるいは山林となって当時の姿はみられなくなった。  馬ノ山未墾地の買収経過を述べるにあたっては、まず馬ノ山が共有地として、また養草山としてどのように利用されてきたか、その様子を知っておく必要があろう。以下これらの事情について、残っている記録と各地の古老の話しを総合して記述する。  馬ノ山が共有地であり養草山として管理されるようになったのはいつ頃か不明であるが、記録として残っているのは明治29年の「長瀬、浅津、橋津3ヶ村組合共有地財産下調綴」及び同42年度の「長瀬浅津橋津村共有地組合会議書類綴」以降である。しかし実際には明治以前から水田耕作地の多い長瀬

文档评论(0)

1亿VIP精品文档

相关文档