原始古代から中世へ.doc

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2011年6月9日 「 道 祖 神 と 人 々 の 暮 ら し 」 松本市立博物館 遠藤 正教 1 はじめに-道祖神は私たちを招く-  「やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引きの破れをつづり~」(松尾芭蕉) 元禄2年(1689)、この言葉とともに、松尾芭蕉は『おくのほそ道』の旅に出ました。 2 松本地方は道祖神のふるさとか?  長野県は県歌『信濃の国』にうたわれるように、厳しい自然のもと急峻な山々に囲まれた四つの盆地を中心に人びとは暮らしてきました。寒冷?高地の自然環境は、山国に暮らす人びとに勇気と英知を育ませ、様々な文化?習俗を生んできました。 道祖神の信仰もその一つです。 江戸時代の制約された暮らしのなかで、人びとは神や仏にすがり、その現世利益にあやかりたいと願い、様々な民間信仰が展開されました。道祖神は、ムラの繁栄や五穀豊穣、縁結び等々、様々な素朴な祈りがなされ、松本地方では明治?大正?昭和を経て、平成の現在へも連綿として伝承されています。  松本?東筑摩から安曇野にかけての一帯は“道祖神のふるさと”といわれています。もっとも道祖神碑の建立年代のピークだけを比較すると、お隣りの群馬県内の方が早くピークを迎えていますが、こんなイメージが全国的に定着したのは、昭和50年(1975)に全国放送されたNHKの朝の連続ドラマ『水色の時』という番組の影響でしょう。 このドラマの中で道祖神が「土に生きる村人たちにとって 最も身近な『愛と生産の神』」(石森史郎『水色の時』昭和50年)として登場しました。 3 道祖神信仰の始まり (1)「道祖」という神名の文献での初見は、承平年間(931~938)に編纂された『倭名類聚抄』に「道祖 和名佐倍乃神」などとある。    ? 和名佐倍乃神は「サヘノカミ」と読み、道祖の2文字をあてた。 (2)「道祖神」と表記されたのは11世紀に編纂された『本朝法華験記』に収められた「紀伊国美奈倍道祖神」であるが、訓は不明である。  ? 『今昔物語』にも同じ内容の説話があり、「道祖神」を「サイノカミ」と読ませる。さらに『宇治拾遺物語』では「道祖神」を「ダウソジン」と読ませる。 (3)7世紀半ば以降、都では御所をはじめ都域内の清浄を保ち、邪悪なものが入ることを防ぐために、都域内の四隅の道上で道饗祭(みちあえさい)を行なったと考えられる。    ? クナト(フナト)ノカミ?サエノカミなどと呼ぶ男女の人形を道上に立ててまつり、これらを「道祖神」と表現したという。 4 道祖神信仰の流れと広がり 県内で最古の道祖神碑は紀年銘によれば辰野町沢底の永正2年(1505)のものといわれ、次に古いものは佐久市浅科矢島の寛文6年(1666)のものといわれています。 5 道祖神はどのような神か  さて、私たちの身近なところに多くの道祖神が建立されていますが、どのような神と考えるかはその場所によって違いがあります。 一番有名なのは???  塞の神(サイノカミ?サエノカミ)とも呼ばれ、ムラの  辻や入口にまつられ、外から入ってくる災いを防ぐ役割を  果たす神 中世末~近世 長野県の中信地方では ①防塞の神 ②疫病除けの神 ③道の神 ④縁結びの神 ⑤性の神 ⑥安産の神 ⑦子供を守る神 ⑧病気予防 の神 ⑨農作物の神 塞の神 など ※ №1は縁結びの神!道の神も多く、この道は単に道路というだけでなく人の道?男女の道と考え、さらには性の神とされるところも多いです。 6 長野県の道祖神の分布 (1)分布 長野県内の場合、明確な道祖神碑の数は把握されていません。双体道祖神碑(明治以前の建立)の分布はおおむね次のようになる。 北アルプス山麓と松本平(750基) 八ヶ岳山麓と諏訪盆地(300基) 千曲川流域と佐久平(110基) 天竜川流域と伊那谷(160基)   全国でも道祖神碑は西日本よりも東日本に多く分布しており、そのなかでも、長野県や群馬県、山梨県、静岡県などの中部地方(中央高地)から神奈川県などにかけての範囲に多くの分布がみられます。 (2)道祖神の広がり ア 江戸時代を通じて城下町では1基も建立されず、周辺のムラで建立され始めます。建立年代が最も古いものは今井古池の正徳5年(1715)のものですが、今井古池のムラの成立は安政5年(1858)であり、道祖神盗みにあったとも推定されます。  イ 像碑建立を伴う道祖神信仰は建立年代をみると、おおむね東筑摩?塩尻、松本あたりから安曇野へ広がっていくようです。 表-1 東筑摩から安曇野にかけての道祖神碑建立 地 域 最古の紀年銘 道祖神碑

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