- 1、本文档共10页,可阅读全部内容。
- 2、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
- 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载。
- 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
查看更多
グローバリゼーションの時代 - 佐々木 健 ウェブサイト
グローバリゼーションの時代
佐々木 建
は じ め に
現代はグローバリゼーションの時代だとされる。この用語が使われはじめたのはごく
最近のことだが(1)、これほど短期間のうちに全世界で市民権を得た用語を、私はあ
まり知らない。多国籍企業論や国際経営論の分野で企業経営の究極の形態として「グロ
ーバル(地球)企業」が成立すると主張する研究者もいるにはいたが、それは企業経営
がナショナルな性格を完全に無くする経営する形態として理解されていたからで、実現
は遠い未来のこととされていた。
日本では、日本企業がバブル絶頂期に積極的に海外展開し、投機的金融操作を世界的
規模で展開したので、経営の「ボーダーレス化」「グローバル化」が主張された。しか
しこれは「国際化」という表現の延長にすぎず、「グローバリゼーション」として一般
化されることはなかった。今ではどうだろう。経営者から政治家、労働組合幹部にいた
るまで、かっての「国際化」という表現をはるかに超えるスピードで一般的、世俗的論
議に欠かせない表現に定着してしまったのである。
ところが、それが学問や現実の政策決定の過程でどのように理解されているかとなる
と、その水準の低さは目にあまる。社会主義体制の解体や最近の政治的、経済的危機の
深まりの現実からも明らかなように、グローバリゼーションは新しい歴史的時代に関わ
る概念、現代社会の全体像に関わるキー概念と捉える議論がもっとあってもよいのでは
ないか(2)。
このように言うと、グローバリゼーション概念は、19世紀末から20世紀初頭にか
けてヨーロッパの社会主義運動を舞台に展開された帝国主義論争や、1960年代初め
に旧東ドイツの経済学者K・ツィシャンクの研究にヒントを得た井汲卓一氏や今井則義
氏 らの主張に始 まった国家独占資本主義論争のような、資本主義の歴史的発展段階や局
面に関わる議論を思い起 こさせる。
ただ、グローバリゼーションの時代を段階や局面 と明確 に捉えきるには、あるいはレ
ーニンが191 7年に 『帝国主義論』で示 したような簡潔 な定義で総括するには、今の
時代はあまりに複雑 で多様 な予兆に満 ちている。私が「時代」とか「時代認識」と言う
曖昧な表現を用いるのは、現実のこのような複雑性を考慮 に入れてのことなのだが、私
自身の理論的分析 の限界を 自覚しての逃げの表現であるのかもしれない。
グローバリゼーションを歴史的時代を表現として最も明快 に定義し、その変革の時代
にお ける意義を捉えたのは、K・マルクスである。 同 じ表現を使ったわけではないが、
彼 は資本主義の地球大的発展の可能性を簡潔 に定式化したおそらく最初の人であろう。
彼 の経済学の歴史認識 を総括 したことで著名 な 『資本論』第 1巻第 24章7節 「資本主
義的蓄積の歴史的傾向 」で、資本蓄積が進む につれて「世界市場 の網 のなかへの世界各
国民の組入れ」と、「資本主義の国際的性格」が発展し、資本主義の最終局面、つまり
政治的変革過程が促進 されることを強調 している(3)。
マルクス以来、資本主義の地球大的発展を捉えようとする理論的営みが、政治的立場
の違いを超えて進歩 と革命の思想のライトモチー フになった。学問の分野でも同 じであ
った(マルクスの経済学批判体系構想の理解をめ ぐって展開された、世界経済論の方法
をめぐる論争などは、その典型である)。このモチーフを帝国主義の歴史段階 に展開し、
この新しい段階 の歴史的位置 を新しい変革主体の形成ををふまえて確定して見せた理論
家の一人 (決して唯一無二の人ではない !)がレーニンである。経済成長の時代が長く
続き、変革の中心勢力 とされた社会主義も解体して、このモチー フは忘れ去 られた。経
済のトレンドともグローバルス タンダードとも理解する人 の多い中で、あえてグローバ
リゼーションを資本主義の新しい歴史的時代として捉えようとするのは、進歩 を目指す
社会科学の視角 の再生 を願 うからに他 ならない。私はマルクスやレー ニンを予言やテー
ゼとして崇 めようというのではない。示唆 に富む視角 としてあらためて捉えてみたいの
である。
- 1 -
文档评论(0)