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1953年出版‘南京市五百分一房地产平面图 ’ - osaka university
再訪磨盤街 : 1953年出版「南京市五百分一房地産平面図
Title
」の現場を歩く
Author(s)荒武, 達朗
近代東アジア土地調査事業研究ニューズレター = 近代東亞
Citation
Issue Date2016-03
Text Versionpublisher
URL /11094/60259
DOI
Rights
Osaka University
調査報告
再訪磨盤街:
1953 年出版「南京市五百分一房地産平面図」の現場を歩く
荒武 達朗
はじめに
南京城内の南部には清代以来の建築物が現存している。これはニューズレター本号掲載
の拙文「日本人旅行者の見た南京市街:清末~1920 年代」にて述べているように、太平天
国の乱の結果、城内は広範囲にわたって破壊されたが、辛うじて西南部に市街地が残存し
たことに由来する。この旧市街地はその後幾度かの戦乱による破壊を被ったものの、中華
人民共和国期に至るまでその姿を留めていた。改革開放政策以降の都市再開発により、そ
の残存範囲は縮小していった。例えば我々研究チームのフィールド(中華門の西側、門西
地区)には数多くの古民居が広がっているのだが、中華門を挟んでその反対側の門東地区
では 1980 年代以降に大規模な再開発が行われた。ここでは家屋の取り壊しのみならず街
巷の名称も変更され、街区自体が外観を大幅に改めた(1)。21 世紀に入ると再開発は加速し、
中華人民共和国の初期に建てられた旧式のアパートを含め、市街全域で破壊と建設が進ん
だ。一方、行き過ぎた開発による文物の破壊に対する危機感が表明されるようになるのも
この頃である。そして歴史的な街区に対しても、その保護政策が打ち出されるようになっ
た。目下、保護対象となっている城南の街区には以下の名称が付けられている。荷花塘歴
史文化街区、三条営歴史文化街区、南捕庁歴史文化街区、夫子廟歴史文化街区、双塘園歴
史風貌区、評事街歴史風貌区、釣魚台歴史風貌区、大油房巷歴史風貌区がそれである。こ
の内、荷花塘歴史文化街区と釣魚台歴史風貌区は中山南路を挟んで隣接する位置関係にあ
(2)
り、面積が最も大きい 。この中華門の西側、門西地区は、先述の門東地区が 1980 年代
以降に旧観を喪失したのに対して、現在まで多くの古民居を残しているのである。加えて
地方志研究者に依れば、この中に含まれる「同郷共井」の周囲、謝公祠、飲馬巷、釣魚台、
陳家牌坊、磨盤街にはそれぞれ名称の由来となった伝説が残されている。それ故に門西は
歴史文化と民間生活の重層する場であるという(3)。
筆者は 2015 年 10 月に南京を訪問し、上の区分でいえば荷花塘歴史文化街区の一角、行
政的には磨盤街社区に残存する秦淮古民居群を踏査した。当地については 2014 年 10 月に
も調査を行っており、本稿はニューズレター6 号掲載の「1930 年代南京の都市不動産登記
文書と現在の秦淮区磨盤街社区:われわれのフィールドについて」の補編と位置づけられ
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