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早岐地区
早岐地区
早岐地区の“よかところ”
○瀬戸など眺めがよい
○交通・買い物の便が良く広場が多い
○歴史・伝統が深い
地区の概要
市南東部の中核地域です。針尾島との間に佐世保湾 と大村
湾を繋 ぐ早岐瀬戸が通 り、早岐瀬戸には早岐川 ・小森川( ・金
田川)などが流入 しています。
陸海の交通の要衝に位置する早岐は、遠 く室町中期から早
岐瀬戸に沿って発達した、商業 と交通の町です。西蓮寺や、
古い山門が残る大念寺など寺社も多く、江戸時代には藩内で指折 りの賑
やかな町でした。
今 日では、花高・若竹 ・有福団地、東部区画整理地区(広田町)など佐世
保市のベッドタウンとしての機能、ハウステンボスや大規模店舗(広田
地区や大塔)など行楽 ・ショッピングなどの機能が早岐近辺に整備 され
ています。早岐まちづくり協議会などが早岐瀬戸 と早岐茶市を活かした、
まちの活性化にも取 り組んでいます。
人口
早岐地区の人 口の推移 ※2011年のみ年末、他は 10 月 1 日の時点
1965(昭和 40)年 1985 (昭和 60) 年 2005 (平成 17) 年 2011(平成 23)年
10,382人 20,312人 22,173人 21,461人
お出かけスポッ ト
早岐瀬戸
早岐瀬戸は、早岐地区市街などと針尾島に挟まれた海峡で、針尾瀬戸とともに大村湾 と佐世保湾をつないでい
ます。この瀬戸の大村湾寄 りの針尾島側にハウステンボスがあります。
は や き と ご うおん
この海峡について 「肥前国風土記」で、「速来の門」として潮の流れが速く轟音が響 くと述べ られています。
長さは約 11km で、幅は平均 125m と狭く、水深も全域で 4m ほどしかありません。リアス式海岸が大半を占
める佐世保市の海岸では珍しく干潟があり、このため砂浜 ・干潟特有の生態系が維持されています。絶滅危惧種
のカブトガニをはじめ多様な魚介類が生息し、渡 り鳥の飛来地にもなっています。
かんちょうばし
☆観 潮 橋
ひろむ
早岐瀬戸で早岐 2 丁目と針尾島の有福町を結ぶ トラス橋です。江戸時代には、付近は平戸藩主の松浦 熈 により平
戸八景の一つ 「潮の目」とされました。
観潮橋の下は、瀬戸の潮流の調整のために幅が 10m ほどに狭まっており、大
村湾と外洋との干満の差から潮の流れ は急で、満ち潮引き潮のたびに潮の流れ
が逆転 します。現在の橋は二代目で、初代の観潮橋は帆船の航行を可能とする
ために開閉橋でした。
佐世保鎮守府が置かれた明治期以降には、橋の周辺に料亭が設けられるなど、
風光明媚な場所としても親 しまれた。また、昔は橋か らの飛び込みな ど近所の
子ども達が水泳の腕を競いました。
映画 『69 sixty nine』のロケ地の 1 つで、主人公が橋から飛び込むシーンが
あります。また近年はカヌー愛好家の姿が見られます。
尾崎公園
やす じゅ
100 年程前、故尾崎保寿さんとそのお父さんが、早苗町の山に毎年少しず
つ桜やツツジを植樹し、きれいな花が咲くようにしました。1969(昭和 44)年
に佐世保市の公園になり、桜とツツジの名所 として多くの人が訪れます。
行事など
早岐茶市
毎年 5~6 月、早岐地区海岸通りと商店街で、約 400 の露店が出て賑わいます。 「茶市の風にあたれば、そん
年は風邪ひかん」と言われます。
早岐茶市は昔、平戸藩の海陸交通の要所であったこの地で、400 年以上
前に、山の幸 ・海の幸の物々交換に始まったとされています。
いち
市の名にある山の幸の茶は、鎌倉時代から東彼杵町や嬉野市で作 られ、
早岐はじめ長崎県北部各地の漁村で重宝されました。また、風土記に早岐
のワカメが登場するように、この近海は海の幸の宝庫で、様々な海産物が
集まったのです。
ごく最近までは物々交換が行われており、爽やかな瀬戸風が通り
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