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  • 2017-08-11 发布于湖北
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日本文化13

観阿弥は猿楽を変革。 子の世阿弥と共に行った猿楽興行を足利義満も鑑賞している。 その後、世阿弥は義満の庇護を受け、能楽を大成し、その奥義を「風姿花伝」にまとめた。 壁もなく、橋掛かりも簡略で、常設の小屋ではない。 足利学校は平安時代末期に創立されたと言われる教育機関。 一度廃れたが、1439年に関東管領の上杉憲実が再興し、室町時代~戦国時代にかけて関東の最高学府だった。 第13回 北山文化 1394年:足利義満太政大臣就任 義満が嫡男義持に将軍職を譲り、太政大臣に就任。公武双方の頂点に立ったのは彼が初めて。 1399年:応永の乱 義満は6カ国の守護を兼任し、朝鮮貿易を独占していた大内義弘を挑発。義弘は摂津の堺で挙兵したが敗死した。 1400年:今川了俊を討伐 南北朝の争乱で活躍した元九州探題(1395年罷免)の今川了俊を討伐。降伏した了俊は許され、1402年難太平記を記す。 1404年:勘合貿易の開始 義満が明使を引見。「日本国王之印」「永楽勘合」を受ける。勘合貿易の始まり。 1408年:後小松天皇の北山殿行幸 3月、後小松天皇が北山殿(今の金閣寺)を行幸。義満、天皇と並座。 同年:足利義満没 5月、権力の絶頂にいた義満が急病で亡くなる。朝廷は義満に「太上法皇」号を送るも、義持が辞退。 あしかが よしみつ 室町幕府3代将軍 将軍に続き、平清盛以来の武家で太政大臣に就任。公武双方の頂

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