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北京旧庙会と寺庙迹地について
北京旧廟会と寺廟跡地について
二階堂善弘
一. はじめに
旧時の北京では、無数と言ってよいほど多くの寺廟が存在し、そこで 「廟会」が行われてい
た。廟会の本来的な意義は、宗教活動であり、神仏に対する祭りを行うことである。つまり、
日本の所謂「縁日」に近いものである。
しかし廟会も縁日も、宗教活動より、それに付随して起こる商業活動や、娯楽文化行事の方
に重点が置かれるように変貌していった。つまり、祭りに来る参拝客によって寺廟が賑わうと、
その人出を当て込んだ露天商や芸人たちが集まるようになったのである。そのため廟会という
言葉それ自体が、「市が立つ」こととほとんど同意義に使われるに至った。
都市の芸能について考察する場合、その活動の場としての廟会についても、いま少し注意が
払われてよいと考えられる。また都市における商業発展ということについても、寺廟とその門
前町とは大きく関連を有する。小論は、主に廟会の中心となった北京の主要な寺廟及びその他
の廟宇について、その歴史的経緯と、現在の状況について考察し報告するものである。
廟会がどのように行われていたか、その歴史的経緯については、以前にはそれほど議論がな
されてこなかったが、1980 年代後半以降、廟会を文化現象として捉える動きが盛んになり、続々
と専門的な著作が出現した。郭子昇氏の 『北京廟会旧俗』、常人春氏の 『老北京的風俗』、趙
()
興華氏の 『老北京廟会』などがそれであり 1 、小論では主にそれらの論著を踏まえて考察を行
っている。
なお、廟跡地の現状の報告については、1996 年 7 ~11 月、1998 年 8 ~9 月及び 1999 年 8 月
の3 回にわたる現地調査を中心にしている。
二. 北京における廟会
旧北京においては、護国寺 ・隆福寺 ・土地廟 ・白塔寺 ・薬王廟 ・蟠桃宮 ・東岳廟 ・白雲観 ・
大鐘寺 ・城隍廟 ・花市火神廟 ・雍和宮などの廟会が有名であった。この他に、什刹海 ・厰甸と
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近代中国都市芸能に関する基礎的研究
いった地区にも、大小無数の寺廟が存在し、同様に廟会が行われていた。
この中で、特に有名なものは、「東廟」と称される隆福寺、それに 「西廟」護国寺である。
()
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竹枝詞に言う 。
東西兩廟貨真全、一日能消百萬錢、多少貴人間至此、衣香猶帶御爐煙。
この二廟の廟会は、北京城内では最大規模のものであったと言われる。ともに城内の繁華街
の付近に位置する。旧暦の毎月七 ・八日の逢日(七 ・八 ・十七 ・十八 ・二十七 ・二十八日)に
は西廟護国寺にて廟会が開かれた。同様に、毎月九 ・十の逢日には、東廟隆福寺において廟会
が行われた。
これに次ぐものとしては、斜街土地廟及び花市火神廟の廟会が著名である。土地廟は宣武門
外の斜街にあり、また火神廟は、崇文門外の花市にあった。土地廟では、毎月三 ・十三 ・二十
三日の三日間、市が立ち、また花市では、毎月四 ・十四 ・二十四日に市場が立ったという。こ
の廟会も、かなり大きな規模で行われたとされる。
さらに、白塔寺の通称で知られる妙応寺も毎月五 ・六の逢日には、廟会が行われた。これら
の廟会が、ほぼ北京城内外で毎月定期的に行われた廟会である。これから考えると、北京では
ほぼ毎日のように、街のどこかで廟会が行われていたと考えてよい。
この他、東岳廟や白雲観や城隍廟などの道観、それに雍和宮や大鐘寺、黄寺や黒寺などの寺
院でも、廟会は盛んに行われた。ただ、これらの寺廟では、一年に一度、ある一定の時期に廟
会が行われることが多かった。そのため、毎月廟会があった東廟 ・西廟などとはやや異なった
面もあったと思われる。
この他、北京郊外の妙峰山にある碧霞元君廟などの廟会もよく知られている。但し、小論で
は、あ くまで北京城内外に所在する廟を中心とするため、この廟宇については対象から除く。
さて、廟会の行われた本来の目的は、参拝であった。地方における廟会のあり方と違い、北
京においては異様とも言えるほど、商業活動の方に重点が置かれることになった。
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