信长公记_第一卷.docxVIP

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  • 2018-11-23 发布于河南
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信长公记_第一卷

信长公记第一卷(日文版)太田和泉守これを綴る永禄十一年戊辰以来織田弾正忠信長公の御在世、且これを記す。1、公方殿生害  公方様御生害の事 永禄8(1565)年のことである。先公方光源院義輝殿が生害され、御舎弟の鹿苑院殿をはじめ幕府の歴々衆が一所に討死した。 当時天下の権を握っていた三好氏は、義輝殿が内々に自分達の排斥を望んでいることを十分に察していた。そこで彼らは談合し、義輝殿の生害を企てたのである。 5月19日早朝、三好勢は清水参詣と称して洛中へ人数を寄せ、一挙に御所へ突入した。御所の人々はこの思いもよらぬ事態に驚愕したが、もはや手遅れであった。三好勢の重囲の中、彼らは数度にわたり切って出て寄せ手を切り崩し、数多に傷を負わせた。義輝殿もみずから伝来の宝刀をとって奮戦したが、多勢の前にやがて力尽き、御殿に火を放って自害に及んだ。 三好勢はさらに義輝殿三弟の鹿苑院殿にも討手をさしむけ、これを殺害した。殺害後鹿苑院殿の家来衆の多くが逃げ散る中、かねて鹿苑院殿に目をかけられていた美濃屋小四郎という若者は隙を見て討手の大将平田和泉を切り殺し、みずからもその場で追い腹を切って死んだ。比類なき高名であった。 まさに乱世であった。天下万民の愁嘆は尽きなかったという。 2、流亡将軍  一乗院殿佐々木承禎朝倉御憑叶わざる事 義輝殿の次弟で奈良興福寺一乗院門跡となっていた足利義昭殿は、寺を相続するかぎ

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