纪要H21冈-东京学芸大学.DOCVIP

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PAGE 230 第5部 結論と展望 認知言語学の哲学的基礎づけと言語研究への応用可能性 岡 智之 留学生センター     0.はじめに 本稿の目的は、認知言語学の哲学的な基礎づけを現象学とくにハイデガーの存在論を用いておこない、言語研究への存在論的アプローチの応用可能性をさぐることにある。  第1節では、認知科学と現象学のあいだと題して、イメージ?スキーマ、コネクショニズム、イナクション理論、アフォーダンス理論を概観しながらその哲学的基礎について議論し、特にハイデガーと認知科学の関係について述べる。第2節では、ハイデガー存在論の言語研究の応用として、形容詞文や存在文の事例研究をあげる。第3節では、西田の場所の論理の日本語文法研究への応用可能性について触れる。 1.認知科学と現象学のあいだ 1.1 イメージ図式 認知言語学(認知意味論)の哲学的含意に関して、早くから言及してきたのは菅野盾樹(Johnson(1987)の翻訳者)である。菅野(1992)では、ジョンソンの「イメージ図式」が、カントの「図式機能(Schematismus)」の考え方に大きな示唆を仰いでおり、また、近年の認知科学の領域で提唱されているいくつかの概念(ナイサーの「図式」、シャンクとアベルソンの「スクリプト」、アンダーソンの「イメージ」など)から裏付けと示唆を引き出していると指摘している。そして、なにより、この「イメージ図式」がメルロ=ポンティの身体論(「身体図式」)と見事に呼応しているとする。メルロ=ポンティは、フッサールの現象学に大きな示唆を受け、『知覚の現象学』などで独自の身体論をうちだした、20世紀現象学の草分け的存在であり、現在の認知科学にも大きな哲学的示唆を与え続けていることは、Johnson(1987)、Lakoff Johnson(1999)などでも指摘されている通りである。メルロ=ポンティによれば、「身体図式とは、知覚=行動しつつある身体そのものの存在様態(世界に属することl’etre au monde)にほかならない。」「ここではすべての探求が言語ないし概念以前の水準でなされていることを見過ごすべきではない。」ここにおいて、あらゆる意味の形態をただ言語―それも抽象的な記号列とみなされた言語―に還元してしまう言語中心主義に警鐘が打ち鳴らされている。「メルロ=ポンティによれば、身体こそが非言語的であれ、あらゆる意味の淵源なのである。」こうしたメルロ=ポンティの「身体論」を現代的に継承した、ジョンソン、レイコフの「認知意味論」のエッセンスを一言で言うならば「あらゆる認知は、図式と基礎的水準のカテゴリーが想像力(imagination)によって拡張された所産であるという見解」である。「認知意味論」の挑戦は、ハイデッガーやメルロ=ポンティが20世紀初頭に投げかけた西洋近代的な思考的枠組みに対する現代的な挑戦である。菅野はこうした認知意味論の現代的意義について述べた後、いくつかの問題点についても提起している。一つは、認知意味論の哲学的基礎が必ずしも十分に明らかになっているとはいえない、ということ。たとえば、図式から言語への展開がどのようになされるのか、いいかえるなら前概念的な水準から概念的水準への認知の発達がどのようになされるのか不明であるという点である。これに関しては、最近のTomasello(1999,2003)などによる言語習得の研究などがその手がかりを与えてくれるのではないかと思う。もう一つは、適切な情報処理モデルを構成しこのモデルに即して認知を説明するという、認知科学で一般に取られる手法が採られていないということをあげている。この事に関しても、最近のコネクショニズムに基づくニューラル?ネットワークなどの手法と結びついての取り組みが進められており、注目すべきである。三つ目は、「コミュニケーション」の視角から認知を解明しようとする姿勢が取られていないという点をあげている。確かにラネカーの認知文法などは、話し手の解釈という点に重点が置かれており、独在論的と言えなくもないが、ラネカー自身は、聞き手の存在や社会的文脈などを考慮していないわけではないと思われる。社会的コミュニケーションの観点からのアプローチとしては、田中?深谷(1996,1998)の「意味づけ論」があり、認知=コミュニケーション理論の深化がのぞまれる。また、テキスト言語学、会話分析の観点からの視点も重要であり、この点メイナード(2000)の「情意の言語学」という取り組みは注目される。 また、イメージ図式がはたしてすべての人間に共通のものかという疑念も長滝(1999:179-181)から提起されている。つまり、「はかり」や「容器」の図式などは西欧的な色彩を帯びており、普遍的なイメー

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