解釈学の実践的理念人間存在を問う解釈学的哲学の可能性につ.pdf

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解釈学の実践的理念 : 人間存在を問う解釈学的哲学の可 Title 能性について Author(s)佐々木, 正寿 Citationメタフュシカ. 38 P.59-P.71 Issue Date2007-12-25 Text Versionpublisher URL /11094/12293 DOI Rights Osaka University 解釈学の実践的理念 解釈学の実践的理念 -人間存在を問う解釈学的哲学の可能性について - 佐々木正寿 はじめに 1935 『風土――人間学的考察――』( 年)の序言において和辻自身述べているように、彼は 1927 年にベルリンでハイデガーの『存在と時間』(1927 年)を読んだことによって、人間存在の 1 根本構造をめぐる思索の決定的な動機を得たといってよい 。それはまず、周知のように、ハイ デガーがことさらに人間的現存在の時間性の契機のみを強調していることを批判したうえで、む しろ時間性と空間性を相即するものとして捉え、それゆえ歴史性と風土性を人間存在の根本契機 と見なすことになったということである。だが、そればかりではなく和辻は、『存在と時間』に おいて展開された「現存在の現象学」、つまり現存在についての現象学的解釈をつうじて、ハイ デガー独自の「解釈学」に接することになった。そして実際、和辻は『人間の学としての倫理学』 1934 ( 年)において、ハイデガーによる現存在分析のあり方に言及するとともに、解釈学を倫理 学の方法として位置づけたのであった。 こうして私たちは、和辻の倫理学構想のうちに、「解釈学」の理念、あるいは解釈学的方法の 理論を見出すのである。この際――とくにハイデガーの「解釈学」の理念を、『存在と時間』に とどまらず初期フライブルク講義へと遡及して顧慮するならば、なおいっそう明瞭に――ハイデ ガーと和辻に見られる「解釈学」の理念のうちに、ひとつの本質的な根本動向を認めることがで 4 4 4 4 4 4 4 4 4 きると思われる。それは、学的・理論的立場としての解釈学にとどまらない解釈の遂行そのもの という実践的意味と、いわば《生の遂行と哲学的思索との一体化》を志向する態度である。 本稿では、まず和辻の倫理学における解釈学的方法の基本理念とハイデガーの現象学的解釈学 の根本動向から、解釈学の本質契機としての実践的意味を表明的に取り出し、次いで現存在ない し人間存在のあり方を問おうとするそのような解釈学に関して、学としての可能性を批判的に検 討することを目指している。 1… 和辻哲郎、『和辻哲郎全集』第 8 巻、岩波書店、1962 年、2 頁参照。 - 59 - 解釈学の実践的理念 Ⅰ 和辻の倫理学と解釈学的方法 『人間の学としての倫理学』における和辻の所論にしたがえば、倫理学は「倫理とは何か」と 問う学問であり、そこで問われる事柄である倫理は「人々の間柄の道」として、「人間の存在の仕方」 2 である 。したがってこのような倫理学は、「人間の存在の仕方」を問うもの、つまり一種の存在 論として性格づけられる。しかも、和辻の強調するように人間存在が個人的存在であるとともに 4 4 「間柄的存在」であるとすれば、「倫理」の学は「間柄的存在」の学、つまり「人間」の学でなけ ればならない。こうした意味において和辻は、「人間の学としての倫理学」という理念を提示す るのである。 「人間の学」として構想された倫理学は、「人間の存在の仕方」を問う存在論として、和辻の 3

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