第1章序论doc.doc

序論 １．１　歴史的背景1 ― アインシュタインの予言(1924年)から最初の成功(1995年)まで 1924年6月，アインシュタイン（A. Einstein）はインドの物理学者ボース（S. N. Bose）から一編の論文「プランクの法則と光量子仮説」を受け取った．その論文は，光を粒とみなし，この粒同士には区別がないと仮定して統計をとると，プランクの輻射公式が導ける，というものであった．その論文で採用された統計のとり方―今日ではボース?アインシュタイン統計と呼ばれる―の重要性に気付いたアインシュタインは，その論文をドイツ語に翻訳し，ボース単名でZeitschrift für Physikに投稿した（この論文は同年の夏に出版された[1]）．そしてアインシュタインは，このボースのアイデアを原子系に適用してみた?．つまり箱の中に閉じ込められた原子のとり得る状態を離散化し，そこにボース統計を適応した．その結果，最低エネルギー準位を占める粒子数が，ある温度以下で巨視的な大きさになる現象－ボース?アインシュタイン凝縮（BEC: Bose-Einstein condensation）－が起こることを予言した[2]．しかし，このアインシュタインの予言は単なる数学上のもので，現実に起こることはないと長らく思われていた． このアインシュタインの予言を復活させたのは，理論物理学者のロンドン（F. London）であった．1927年，液体ヘリウムが2.17Kで比熱が発散する2次相転移（λ転移）を起こすことが見出され，1937年には，このλ転移温度以下では粘性がゼロに近くなる超流動現象がカピッツァ（P. L Kapitza）によって発見された．1938年，ロンドンは，それまで謎であったこれらの特異な現象は，ヘリウム原子のボース?アインシュタイン凝縮によるものであると説明した[3]．実際，液体ヘリウムをボース気体とみなしアインシュタインの予想するボース凝縮転移温度を計算すると，λ転移温度2.17Kに近い3.13Kと計算される．また，1911年にオネス（H. K. Onnes）により，水銀において初めて発見された超伝導現象は，46年後の1957年，バーディーン（J. Bardeen），クーパー（L. N. Cooper），シュリーファー（J. R. Schrieffer）により，格子振動を仲立ちとする引力相互作用によって対をなした電子（クーパー対）のボース?アインシュタイン凝縮として説明された（BCS理論）．その後，超伝導と同じ微視的機構で液体ヘリウム3も超流動になることが理論的に予測され，1972年，実際に数mKの温度領域で超流動状態へ相転移することが確認された．1993年には半導体（Cu2O）中の励起子においてボース?アインシュタイン凝縮の証拠が見いだされた[4]．しかし，これらのボース粒子― ヘリウム原子，クーパー対，および励起子 ―では粒子間の相互作用が大きく，その諸特性を理論計算と比較することは一般に困難である．実際，1986年に発見された酸化物高温超伝導体における超伝導性の発現機構は，未だ完全には解明されていない．それ故，粒子間相互作用の小さい原子気体系でのボース?アインシュタイン凝縮の実現は，多くの物理学者にとって長年の夢であった． 磁場によりスピン偏極した水素原子気体は，低温においても分子にならないことが理論的に示されていたので，ボース凝縮を実現できる原子気体の有力な候補とみなされ，1980年頃から本格的に実験的研究が始まった[5]．初期の実験は，主に磁場をかけた冷凍機内で偏極水素気体を圧縮することによってボース凝縮を目指すものであった．しかし，偏極水素原子は高密度状態では３体衝突を通して分子を形成してしまうことがわかり，ボース凝縮への道は困難を極めていた．そのような中，1986年にヘス（H. F. Hess）は，高密度状態を経ずに，つまり３体衝突を抑えて偏極水素のボース凝縮を実現する手法を提案した[6]．それは，偏極水素を磁気トラップにより捕獲して外界との熱的接触を絶ち，運動エネルギーの高い原子を選択的にトラップから脱落させて温度を下げるというものであった（この手法は「蒸発冷却法」と呼ばれる）．この提案は翌年1987年にMITのグループによって実行され[7]，1991年にはボース凝縮まで温度にして3倍のところまで近づくことができた[8]．しかし，その後ボース凝縮実現までには，更に長い年月が費やされることになる． 1975年にヘンシュ（T. H?nsch）とシャロウ（A. L. Schawlow）によって提案された中性原子のレーザー冷却[9]の実験的研究が本格的に始められたのは，ちょうど偏極水素でボース凝縮を目指す実験が始まった198