射场保昭-京都大学.doc

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明月記の客星出現の記録を海外に紹介した日本人-射場保昭氏について 竹本 修三(京都大学名誉教授) 国際高等研究所のプロジェクト研究「天地人-三才の世界」の研究会で、『明月記』の超新星を含む客星出現の記録を英文で報告したのは誰だったのであろうか?ということが話題になった。そこで、文献等を調べた結果、この記録を英文で紹介したのは、神戸在住のアマチュア天文家の射場保昭(いば やすあき)氏であることがわかった。 射場氏は、Popular Astronomyという米国の天文学雑誌にFragmentary notes on astronomy in Japan(日本の天文学に関する断片的なノート)と題する一連の報告を1934年から1938年にかけて4編寄稿している。このうち、1934年の最初の報告(第42巻243-251頁)の最後のページ(251頁)にAncient Records of Novae (Strange Stars)と題して、以下のような藤原定家(1162-1241)の『明月記』についての記載がある。 [新星(見知らぬ1230年に新星の出現があった。これが、過去に観察された見知らぬ見知らぬ見知らぬ1935年であるが、神田の了解を得て日本の天文資料の概要をアメリカに紹介したのは、神戸在住のアマチュア天文家射場保昭であった。このうち明月記(藤原定家著)に記された、客星出現例の「天喜二年四月中旬以後、丑時客星觜参度、見東方、荸天関星、大如歳星」が1054年の超新星とかに星雲を結びつける有力な証拠となった。中国の客星の記事は、位置は割に詳しく記されているが、光度の記録を欠く場合が多い。射場の記事の「大きさ歳星の如し」を注目したのはMayallであった。現在天文学の研究対象の花型になっているかに星雲に専門家の目を向けるきっかけを作った射場氏の投稿の意義は大きい。 ここに述べられている神田 茂 氏(1894-1974)は、1920年東京帝国大学理学部天文学科を卒業後、東京天文台(後の国立天文台)に勤務し、主に理科年表の編纂等に従事した。1943年に退官したのち、その2年後に日本天文研究会を結成し、アマチュア天文家の指導にあたった。日本の天文古記録を調べていた神田 茂 氏は、1934年に「日本天文史料綜覧」、1935年に「日本天文史料」を恒星社から出版したが、彼の了解を得て、射場氏がその概要を米国の雑誌に発表した。 この射場氏の英文の報告に着目したのが米国のNicholas Ulrich Mayall(1906-1993)とオランダのJan Hendrik Oort(1900-1992)であり、『明月記』に記載された“後冷泉院天喜二年(1054)四月中旬以後客星が現われ、大なること歳星(木星)のごとくであった”の英訳を読み、輝度や輝きの継続期間からみて、この客星は、かに星雲で爆発した超新星であろうと考えた論文を連名で1942年にPublications of the Astronomical Society of the Pacific(第54巻, 95-104頁)に発表した。この論文にIba(1934)の報告が引用されている。 オールト(Oort) 博士は、1987年の第3回京都賞?基礎科学部門の受賞者であるが、その受賞理由は、「銀河の構造及びその力学的特性の解明による天文学への多大な貢献」であった。オールト博士の顕著な業績の1つに超新星残骸の星雲についての研究があるが、オールト博士は、その研究のきっかけとなった『明月記』の実物を見たいということで、1987年に京都賞受賞のため来日した際に、京都賞選考委員であった佐藤文隆京都大学教授(当時)の案内で同年11月11日に冷泉家を訪問している。オールト夫妻は、小葉田 淳?京都大学名誉教授の説明で、冷泉家時雨亭文庫の『明月記』に残された1230年11月8日付の定家の自筆に接している(写真1)。1987年は、肉眼で観測された超新星としてはSN 1604(ケプラーの超新星)以来、ほぼ300年ぶりに超新星SN1987が2月23日に現れて、みんなの興味が超新星に集まった年であった。 写真1 明月記の実物に見入るオールト博士夫妻(佐藤文隆京大名誉教授提供)。 射場保昭氏の生年、没年、職業等は不明であるが、わが国のアマチュア天文家の草分けの一人であり、1930年代に和文や英文の天文学に関する多数の報告を執筆していたほか、当時としては非常に珍しい高価な天体望遠鏡も所有しておられたようで、1931年にはPopular Astronomy 誌に“Amateur Astronomy and Telescope Making in Japan”と題する報告を寄せている。なお、射場氏所有のリンスコット

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