深海微生物の作る酵素の特徴.pdfVIP

１． は じ め に 深海という環境は，私どもの惑星「地球」という環境の 中の実に多くの部分を占めている．すなわち，地球表層の 約７０％が海洋であり，その海洋環境の９５％以上の部分が 深度１，０００m以上の深海環境であるということはよく知ら れている．従って，深海底に生息する生き物たちは地球生 命圏で最も多量に存在する生物であるといってもよく，深 海環境の一般的な特徴でもある「低温，高圧下」といった 条件で生息している生物が，この惑星に最もよく適応した 生命体であると考えられる．深海生命体についての知見 は，前世紀後半に報告された海底熱水鉱床生物圏の発見以 来，探索技術の発展によって現在急速に増加しつつある． しかしながら，広く海洋底に広がる深海生命圏の総合的な 理解についてはまだまだ不明な点が多い．今後，深海生態 系の解明から個々の深海生物に対する理解，そしてこうし た生物の作る酵素，タンパク質，膜といった分子的な知見 を深めるために更なる深海研究の進展が必要である． 深海高水圧環境に適応して生息する微生物の作る酵素タ ンパク質は，その水深に応じた環境圧力下でも良好に働い ていることが理解されている．しかしながら，一般的に， タンパク質に圧力をかけると体積変化に依存した構造の変 化が起こり，その結果として多くの場合その活性が阻害さ れ，さらに高い圧力下では失活することが知られている１）． ということは，こうした深海微生物の作るタンパク質は， 大気圧下に適応した微生物のそれと比較して，高圧力環境 に対して耐性を持っていると考えられる．残念ながら，こ うした圧力耐性とタンパク質の構造との相関に関しては今 日まで研究例が少なく，どういった構造的な特徴が圧力耐 性に効いているのかについては，まだ一般則は出されてい ない． 一方，近年における深海調査研究の進展から，高水圧環 境に適応して生息している深海微生物，なかんずく好圧性 微生物（以下，好圧菌）に関する知見が蓄積し，それらの ゲノム解析も行われ２，３），こうした深海微生物の作る酵素タ ンパク質の情報も飛躍的に増大してきている．これらの酵 素は高圧環境に適応した構造を持つと考えられ，これと大 気圧下に適応した微生物の相同酵素とを比較することによ り，タンパク質の耐圧性に関するメカニズムが解明される ことが期待されている．本稿では，これまで筆者らの研究 室で取り組んできた好圧菌 Shewanella violacea DSS１２株 〔生化学 第８１巻 第１２号，pp.１０９４―１１００，２００９〕 特集：極限環境で働くタンパク質の特徴と利用 深海微生物の作る酵素の特徴 加 藤 千 明 深海という環境は，その大部分が恒常的な低温，高水圧下の状態におかれている環境で ある．従って，そうした環境に適応している微生物（深海微生物）は，その生産する酵素 がそうした環境条件でもよく働くことが必須条件となっている．本稿では，深海微生物， なかんずく好圧性微生物が作る各種酵素タンパク質の圧力下での挙動を総括し，一般的に 好圧菌の作る酵素は大気圧下に適応した微生物の作る酵素に比べ圧力耐性が高いことを示 唆した．こうした酵素の圧力耐性はタンパク質構造からくる特質に関わっている可能性が 考えられ，深海微生物の作る酵素の特徴を明らかにするために，今後タンパク質構造―圧 力活性相関の研究を更に進めていかなければならない． 独立行政法人海洋研究開発機構，海洋?極限環境生物圏 領域，海洋生物多様性研究プログラム（〒２３７―００６１神 奈川県横須賀市夏島町２―１５） Features of the enzymes produced by the deep-sea microor- ganisms Chiaki Kato(Marine Biodiversity Research Program, Institute of Biogeosciences, Japan Agency for Marine-Earth Science and Technology, ２―１５ Natsushima-cho, Yokosuka, Kana- gawa２３７―００６１, Japan） の作る酵素タンパク質の圧力適応機構に関する知見を中心 にまとめた． ２． 好圧菌の多様性とモデル微生物Shewanella violacea DSS１２ 好圧菌は深度約２，５００mを超える深海底から幅広く分離 されてきており，その多くが海洋性細菌が多く含まれてい るガンマプロテオバクテリアグループに含まれている（図 １）．好