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Titleヘーゲル哲学に於ける自己意識の問題性―『精神の現象 』を手がかりとして―
Title
ヘーゲル哲学に於ける自己意識の問題性―『精神の現象
学』を手がかりとして―
Author(s) 樋口, 善郎
Citation 哲学論叢 (1990), 17: 52-63
Issue Date 1990-07-01
URL /2433/24524
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
ヘーゲル哲 学 に於 け る自己意識 の問題性
『精神の現象学』を手掛か りに して一
樋 口 善 郎
小論 は,ヘ ーゲル哲学 に於け る自己意識 の問題性を,彼 の主著の一つであ る 『精神
の現象学」(z,(1807年)を 通 して明 らかにする ことを意図 している。何故彼 の哲学に於
いてと りたてて 自己意識が問われなけれぽな らない のか。その大 きな理由は,ヘ ーゲ
ルの真理観のなかで 自己意識が大 きな意義を 持 っている とい う点にある。 「自己意識
とともに我kは 今や真理 の故郷の国に入 って きた」(103)と い う言葉が これを端的に
表わ してい る。 このことか ら,自 己意識は真理 と密接な連関にある と言 うことができ
る。当然ヘ ーゲルの学的体系 もまた,そ れが真理 の表現である以上,自 母意識 と連関
しているはずである。 しか し,そ れ はど うい う意味でだろ うか。その点に,こ こで考
察 したいヘ ーゲル哲学 に於け る自己意識 の問題性 が存 している。ヘーゲルの学 的体系
と 自己意識 とは どのよ うな仕方 で 関わ ってい るのだ ろ うか。 この問題 の解 明の為に
は,既 に完結 した姿 を持 ったヘー ゲルの学的体系 それ 自体を扱 うよりはむ しろ,そ の
学 の成 り立つエ レメン トの生成を論 じた 『現象学 』を扱 う方が よい と思われ る。その
エ レメソ トの生成 の過程 のなかで 自己意識が どの ように働いているかを取 り出す方が
学 と自己意識 との関わ りを よ りよく示すか らである。
1ヘ ーゲルの学的体系 と哲学的思惟
さて,ヘ ーゲルの 学的体系を 支Z..てい るものは 何であろ うか。 ここでは,ヘ ーゲ
ル自身が比較 的明瞭に 自分の学的体系 について述べている 『エ ンチュクロペデ ィー』②
(1830年)の 緒論を手掛か りに して それ を問 うことに よって ヘーゲル独 自の 哲学 的思
惟を取 り出し,そ れの持 ってい る性格 を規定 してお きたい。
『エ ンチ ュクロペデ ィー』に よると,哲 学は学的体系 にな らなけれ ぽな らない(vgl.
一52一
ヘ ーゲル哲学 に於け る自己意識 の問題性
§14)。そ して,そ の哲学 が対象 とするのは真理であ り,更 に 「有限的なものの領域,
即ち,自 然及び人間の精神,そ れ らの相互関係,及 び,そ れ らとそれ らの真理 として
神 との関係」(§1)で ある。 しか し,そ うした ものを哲学が対象 とす るか らと言って,
それが直 ちに学的体系をなすわけではない。哲学 が学的体系であることを保証す るの
は 「必然性」(ebd.)で あるとされ る。つ ま り,諸対象 の持 っている必然的な結び付 き
を示す ことである。 ここで問題 とな って くるのは,示 す ことがで きる以前 に諸対象は
それ 自身必然的な結び付 きを持 っていなけれ ばな らない とい う点であ る。まさYrヘ ー
ゲルは諸対象に必然性を認める立場を取っている。 それは,「 ヌースあるいは,よ り
深 く規定 され た場合,精 神が世界 の原因であ る」(§8)と い う言葉 に 端的に表現 され
てい る。 しか し,同 時に,そ の対象が学的体系 の内容をなす場合,そ れは意識 との関
わ りの うちにあるとい う点に法意を払ってお くべ きである。 このことは次の引用か ら
も明 らかである。「哲学の内容 は,生 きた精神の領域その ものの うちで生み出され,ま
た現在生み出されつつあ る内容,意 識の世界,意 識の外的及 び内的世界にされた 内容
にほかな らない」(§6)。その点か らすれぽ,学 的体系の内容をなす のは,世 界 の原因
としてヌースあるいは精神に起 因す る 必然的な結び 付 きを持 った 諸対象を 意識 との
相 関のなかで捉 えたものとい うこ とにな る。 しか し,対 象が意識 に現われて きたもの
であるか らと言って,そ れはその必然性に於いて現われ るわけではない。人間の意識
内容は 「感情や直観 や表象」(§2)
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