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「環境倫理学」から「環境保全の公共哲学」へ.pdf

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「環境倫理学」から「環境保全の公共哲学」へ

118 【論 説】 「環境倫理学」から「環境保全の公共哲学」へ ―アンドリュー?ライトの諸論を導きの糸に 千葉大学公共研究センターフェロー 吉永 明弘  現在、環境問題は世界的に重要な懸案事項として広く認知されている。そ してそれに伴い、環境に対する人間の行動規範、いわゆる「環境倫理」 (environmental ethics)の必要性が唱えられている。こうした環境保全に対 する行動規範が必要であるということ自体は、現在かなり広く認識されている といえよう。またそれは、単なる理念にとどまらず、国際条約や各国の法律な どによって、その具現化が試みられている。自治体や企業においても、環境へ の配慮が一つの広告材料になっており、社会の意識が少しずつ変化しているこ とが見てとれる。  とはいえ、その一方で、環境の劣化が着々と進んでいることも事実である。 それに対して、特に日本では、環境問題をめぐる議論の枠組が旧態依然とした ものであることが、事態の改善を遅らせていると思われる。例えば、〈環境を とるか経済をとるか〉といったような二者択一的な議論が依然として行なわれ ている。また環境倫理の主張は、ある種のタテマエと見られているのではない かという疑いがある。例えば、環境保全という「総論」は賛成だが、自らの生 計に関わる「各論」には反対、といった主張が違和感なく出されることがある。  現在の日本は、環境問題や環境倫理についての情報が大量に出回っているが、 それらは必ずしも各人に関わるものとして受け取られていない、という状況に あると考えられる。また、環境倫理についての議論は必ずしも法律や行政機構 に影響を与えてはおらず、このことが環境倫理をある種のタテマエにしている 千葉大学 公共研究 第5巻第2号(2008 年9月) 119 原因の一つとなっているように思われる。  本稿では、このような現状を打開するためには、環境倫理の〈自覚化〉と〈具 体化〉が必要であり、そのためには「環境保全の公共哲学」という枠組が必要 になると主張する。その導きの糸となるのが、アンドリュー ?ライトの近年の 諸論考である。本稿ではライトの諸論考を紹介し、それを「環境保全の公共哲 学」へとつなげていくことを試みる。 1.環境プラグマティズムの問題提起 環境倫理学に対する批判  環境倫理に関する研究分野は、「環境倫理学」である。この分野は 1970年代 にアメリカで誕生し、哲学者たちによってさまざまな議論がなされてきた。しか し、それらの議論については、現在さまざまな批判が投げかけられている。  「半年ほど、おもにアメリカやヨーロッパの哲学者の環境問題に関するご託 宣をあれこれ読んだのだが、これはかなり苦痛だった。あまり面白くないので ある。(中略)面白くないだけならまだしも、建設的ですらない。わかりきっ たことをぐだぐだいわれると、人はイライラするものだ」(佐倉 1992:iii)。  「生命倫理学も環境倫理学もいずれも深刻なジレンマに突き当たり、現在は 袋小路に迷い込んでいるように思われる。医療と環境をめぐる難問を解決する という社会的な要請を受けながら、倫理学は今でもまだ、お説教を説くに過ぎ ないのではないか」(岡本 2002:8)。  このような外部からの批判もさることながら、より深刻なのは内部から批判 が提起されていることである。環境倫理学者のライトとカッツは、『環境プラ グマティズム』の序文で次のように述べている。  「環境倫理学の学問領域が、環境政策の形成に対して何らかの実践的な効果 「環境倫理学」から「環境保全の公共哲学」へ 120 をもってきたかを見ることは難しい。環境をめぐる哲学者たちの学会内部の多 様な論争は、興味深いし刺激的で手の込んだものであるが、環境にかかわる科 学者や活動家、政策作成者たちの討議に対していかなる現実的なインパクトも 与えていないように見える。環境倫理学内部でのさまざまな思想は、明らかに 力をもっていない」(Light Katz 1996:1)。  では、それまで環境倫理学ではどのような議論を行ってきたのか、ライトと カッツによる整理を教科書的に敷衍すると、次のようになる。 ①「個体主義」(individualism)vs「全体論」(holism) 守るべき対象は生き物個体の生命なのか、それとも生態系全体なのか、に関す る論争。 ②「 人 間 中 心 主 義 」(anthropocentrism)vs「 人 間 非 中 心 主 義 」(non- anthropocentrism) 環境問題の原因は人間を中心に考える見方(人間中心主義)にあり、人間以外 の生き物や生態系全体を中心にした見方に改めるべきという主張(人間非中心

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