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1920年代における赤井米吉の教育思想
1920年代における赤井米吉の教育思想
――宗教的?神秘的、かつ社会改造的思想を中心に――
李 舜 志
はじめに
本稿は、1920年代における赤井米吉の教育思想を、
宗教的、神秘的かつ社会改造的思想に注目すること
によって明らかにすることを目的としている。本稿
において取り上げる宗教的、神秘的な教育思想とは、
教義を教えることや聖典を暗唱させることを意味す
るのではない。赤井は「私たちの知はどこまでとど
くか、私たちの力はどれだけのことが出来るか」と
教育者について問うた。その結果、教育者の「無能
さ」とは、避けることのできないものだという結論
に達した。しかし、赤井はその無能さに絶望するの
ではなく、無能である自己を知ることを理想的な教
育の、理想的な社会の、実現する契機としたのであ
る。このような、教育する者としての無能さを思い
知りながら、それでも教育へと向かっていく赤井の
情熱の根底にある原動力こそが、本稿で取り上げる
宗教的、神秘的な教育思想なのである。それは同時
に、教育を通した社会改造へと向かう原動力でもあ
る。
赤井米吉についての先行研究は、ドルトン?プラ
ンについての研究で軽く触れられているものを除く
と、第一に中野光によるものが挙げられるであろう。
中野は、『教育改革者の群像』所収の「沢柳精神の継
承者」という論考において、赤井の生い立ちから成
城学校での教育者生活、小原国芳との友情と反目、
ドルトン?プランとの出会い、明星学園の創設と経
営に際しての苦悩、戦時下でのふるまい、戦争協力
のかどで公職を追放された戦後の活動など、赤井の
生涯を丹念に追っている 。また中野は『大正自由教
育の研究』においても何度か赤井に触れているが、
明星学園での教育における労働や自然の重視、郷土
教育への傾倒、ファシズムへの順応をもたらした歴
史観?世界観などが、赤井の著作や論考から引用さ
れた形で示されている 。
次に、足立淳によるものが挙げられる。足立淳は
「成城小学校におけるドルトン?プラン受容をめぐる
対立の構造」において、沢柳政太郎の自学論の内実
の検討と、それを踏まえたうえで奥野庄太郎と赤井
米吉の言説を比較分析することによって、両者の教
育の目的観の対立を示している。足立はこの論考に
おいて、沢柳やその自学主義を継承する奥野らと対
比するかたちで、赤井の(沢柳や奥野とは異なる)
ドルトン?プラン解釈を明らかにしている 。また、
足立は「1920年代日本におけるドルトン?プランの
批判的摂取―赤井米吉の宗教的教育思想に着目し
て」において、赤井の思想におけるキリスト教や西
田哲学からの影響に着目し、「デモクラシーの精神に
立脚し、教育改造の実際的プランを求める教育家で
ある赤井米吉」という従来の理解の根底に、宗教家
としての赤井米吉像を据えている 。
本稿は、まず、赤井が成城小学校へ赴任する以前
の、またドルトン?プランを受容する以前の思想を
概観する。次にそのような思想背景をもつ赤井がど
のようにドルトン?プランを受容したかを、仕事?
自由?協同という三要件と、それらを総括する根本
原理としての社会に焦点を当てて明らかにする。そ
して、以上のドルトン?プラン解釈がすでに宗教的、
かつ社会改造的な役割を担うものとして捉えられて
いた証左を示すため、宗教的でなく、社会改造的で
ないという理由からなされた赤井によるパーカース
ト批判を参照しつつ、その宗教的?神秘的かつ社会
改造的な教育思想を取り出す。そして最後にまとめ
として、宗教的?神秘的かつ社会改造的思想の持ち
主であった赤井が、1920年代において、実際に教育
に携わり、またドルトン?プランと出会い、どのよ
うな教育思想をつくりあげていったのかを示す。
1.赤井の思想背景
赤井は幼少の頃から熱心なキリスト教徒であり、
九歳の頃から村の日曜学校へ通って讃美歌を歌い、
― ―127
東京大学大学院教育学研究科 基礎教育学研究室 研究室紀要 第39号 2013年9月
聖書の言葉に耳を傾けたとされる。洗礼を受けたの
は十五歳の時であった。また高等師範学校二年の時、
同室の友人が急死したことによって、死の恐怖と信
仰の揺らぎを感じたという。そして一晩中煩悶した
挙句、夜明けごろに「はじめに神天地を創りたまへ
り」という聖書の一句を聴き、それによって一切の
疑惑が氷解し、歓喜のあまり校庭の真ん中で膝まず
き神への感謝と祈りを捧げた。以上からわかるよう
に、思想だけでなく赤井の人格形成においてキリス
ト教が重要な役割を果たしたのである 。
また赤井は1919年(大正8年)にバッカムのMysti-
cism and Modern Lifeを翻訳し『神秘主義と現代生
活』として刊
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