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『ユートピア』と無「私」の哲学 r.nul.nagoya
15
『ユートピア』と無「私」の哲学
安 藤 重 治
人間は自然に国的動物(zo?on politikon)である
アリストテレス 『政治学』
私は考える、それゆえに私はある
デカルト 『哲学の原理』
1.はじめに
トマス?モアの『ユートピア』が論じられる際いつも問題となる論点がある。『ユー
トピア』第2巻で描写される最善の共和国としての「ユートピア」が、著者モアによっ
てどの程度本気で理想国と考えられていたかという問題である。これは文学作品を解釈
する場合の、作者の意図を重視する立場であり、作者の意図を最初から問題としないア
プローチの仕方ももちろんありうる。そもそも『ユートピア』が文学なのか、哲学なの
か、政治思想なのかあるいはその他のなにかなのかは、読む人の立場によって変りうる。
『ユートピア』における著者の真意を問題にすることは、それが作品解釈に有効な方法
であることを暗黙の前提にした立場であり、本論において私もまたそのような立場から
論じている。私は必ずしもそれが常に有効な方法であるとか、常に優先されるべきだと
か思っているわけではない。だが、この小論では著者の真意をめぐって今までの論争で
は取り上げられることの無かった視点から、『ユートピア』におけるモアの真意という
問題を論じてみたい。
2.第2巻の意味
第2巻で「ユートピア」1を描写しているのは、架空の人物ラファエル?ヒスロディ2
であり、ヒスロディこそが「ユートピア」を熱狂的に支持し紹介しているのだから、モ
アが「ユートピア」を理想国としてどの程度真剣に意図したのかという問題は、Q.ス
キナーの言っているように、モアは読者がヒスロディの見方を是認し共有することを意
図していたのかどうかと言い換えてもよいであろう。スキナーによれば、その問に肯定
的に答える解釈が従来は通常だったのに、近年の優れた研究者たちの仕事は、むしろモ
アのテキストへの疑問、あるいはそのあいまいさを強調する解釈が大勢となってきてい
16
言語文化論集 第XXVIII巻 第 2号
る(Skinner 1987 : 123-4)。もちろん肯定するにせよそうでないにせよ、論者によって
さまざまな力点の相違が見られるのは当然のことである。例として、よく知られている
ものだけに限っていくつかを挙げてみよう。R. W. チャンバーズの考えでは、『ユート
ピア』には同時代の政治や社会に対する鋭い批判、抗議が含まれているけれども、「ユー
トピア」のモデルとなっているのは中世の修道院であり、作品自体は倫理と規律を重
んじるモアの保守的で正統的な信仰から少しも逸脱するものではない(Chambers 1982:
125-144)。J. H. へクスター は、「ユートピア」の人々がキリスト教の啓示なしに、当時
の現実のキリスト教徒以上の、真のキリスト教徒的な生き方や社会を実現しているとこ
ろに、モアのキリスト教的ヒューマニズムの真価があるとする(Hexter 1952: 81-96)。
また、モアを近代の共産主義思想の先駆者とする K. カウツキ-の研究が『ユートピア』
研究の重要な一面を切り開いたことは今も否定できないであろう。3
「ユートピア」をモアが真の理想国として描写しているとする見方に疑問を呈するの
は、『ユートピア』を文学作品として解しようとする学者たちに共通する傾向であるよ
うに思われる。C. S. ルイスによると、『ユートピア』にはいわゆるリベラルな人々が擁
護しようとするようなものはなにもなくて、このような視点からの解釈は結局どこかで
破綻する。もともと社会思想の論文などのようにまじめに解釈されるように意図された
ものではなくて、「暇時の手遊び、高度の知的精神からおのずと湧き出たもので、多く
のウサギを狩り出しはするが一匹も殺すことの無い、議論、撞着、喜劇、とりわけ創意
の饗宴」である(Lewis 1977: 391)。また、エール版全集『ユートピア』の編集者の一
人である E. サーツは、その序論において、第1巻のみならず第2巻を含めた作品全体
が劇的対話(dramatic dialogue)であるとする。第2巻はヒスロディ一人によるモノロー
グのように見えるかもしれないが、考えられる反対意見への答えが含まれ、富める者か
らの当然の反発が予想されること、聞き手の存在が明確ではなくとも意識されているこ
と等を考慮すれば、モノローグというより一方向的対話(one-sided dialogue)とみなす
ことができる。作
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