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自我の社会学理論の越境
自我の社会学理論の越境
――『自我の起原』と『生成の社会学をめざして』を中心に――
立教大学 奥村 隆
本報告は、2014 年 6 月の日本社会学史学会大会シンポジウムでの報告(「共同体の外
に立つ――「日本の社会学を英語で伝える」ことをめぐる試論」として『社会学研究』
第 37 号 (2015 年 6 月刊)に収録)の問題意識の延長上にある。その報告で私は、日本
独自の社会学を展開した社会学者たちの研究成果が「世界という舞台」に発信できてい
ないのではないか、と述べた。振り返ってみると、私たちは数多くのマルクス研究やヴ
ェーバー研究を、ブルデュー研究やルーマン研究を、さらにはバウマン研究やベック研
究までもっている。では、私たちは「見田宗介研究」や「吉田民人研究」や「作田啓一
研究」をもっているのだろうか。そうした研究をこれまでもっていないとすれば、それ
を海外へ発信することは不可能だろう。ではなぜそれを行ってこなかったのか。
だが 「海外への発信」ということは、おそらく学問にとって副次的なことなのだろう。
ここではより単純に、以前の世代の社会学の成果が検証されず、現在に継承されていな
いのではないか、ということを指摘しておきたい。カール・マンハイムがいうように、
私たちは「自分が属している集団の言葉で話す」。「厳密な言い方をすると、単独の個人
が思考する、というのは誤りである。正しくは、個人は彼以前に他人が考えてきている
思考に加わる、といったほうがよい」(Mannheim 1929 =1978: 99)。私たちは、自分が
どのような思考に加わっているかを理解しているのだろうか。
作田啓一と見田宗介。1922 年と 1937 年に生まれたこのふたりの社会学者は、それぞ
れ膨大な業績を残しており、直接の教え子をはじめとしてより若い世代の社会学者に大
きな影響を与えてきた。彼らを対比するとき、すぐにさまざまな類似を発見することが
できる。ともに初期に「価値」を主題とした著作を刊行し(作田『価値の社会学』1972
年、見田『価値意識の理論』1966 年)、文学に刺激を受けた研究を進めている(作田『個
人主義の運命』1981 年、『ドストエフスキーの世界』1988 年、見田『宮沢賢治』1984
年など)。また、なんらかのユートピアの構想を描こうと試み(作田『ジャン―ジャック・
ルソー』1980 年、見田『人間解放の理論のために』1971 年、『気流の鳴る音』1977 年、
いずれも真木悠介名義)、現代社会における悪や犯罪を論じている(作田「酒鬼薔薇少年
の欲動」1998 年(『生の欲動』所収)、見田「まなざしの地獄」1973 年(『現代社会の社
会意識』所収)など)。そして、こうした検討を進めるために、このふたりが「社会学理
論」を用い、独自の展開を試み続けたという点でも共通しているといえるだろう。
しかし同時にその差異に注目する人も多いだろう。一例をあげるならば、同じ「価値」
を定義するにもこのふたりのアプローチは異なる。見田宗介は『価値意識の理論』の 「第
一章 価値と価値意識」で、「価値を「主体の欲求をみたす、客体の性能」と定義する」
と記す。「欲求」とは、道徳的・芸術的・社会的などあらゆる分野において、「あるもの
を望ましいものとする傾向のすべて」のことを指す(見田 1966: 17)。これに対して作田
啓一は『価値の社会学』の「第一編 社会的価値の理論」で、「日常用語では価値は何ら
かの欲求を満たしうる客体ないし客体の性質を意味する」(作田 1972 :14)としながら、
たんなる欲求充足ではなくなんらかの欲求充足をおさえることで到達したものが価値で
ある、とし、「価値とは犠牲の対価である」と述べる。「価値は否定を受けた欲求の見返
りとして肯定された欲求を満たし得る客体に付着する」(ibid.: 17)。「望ましさ」と「犠
牲」という参照点を見ると、ここには根本的な発想の相違が存在するようにも見える。
1993 年に、作田啓一と見田宗介は「自我」を重要なテーマとした著書をあいついで刊
行した。作田は前年の10 月に脱稿したという『生成の社会学をめざして――価値観と性
格』を3 月に、見田は1992 年9 月以降に『思想』と『文学』に発表した論考をもとに『自
我の起原――愛とエゴイズムの動物社会学』を 9 月に真木
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