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中日文化の近代化の比較研究
PAGE 1
论文目录
日中文摘要
论文全文
《浙江大学本科生毕业论文任务书和考核表》
文献综述
5. 开题报告
6. 翻译
7. 个人承诺书
中日文化の近代化の比較研究
--梁啓超と福沢諭吉を中心に
要旨:西洋列強の侵出によって、中国と日本は民族危機に陥った。梁啓超と福沢諭吉は自国が置かれている危機的な状況がよく分かって、西洋文化を通して、自国を救おうとして、力を尽くした。彼らは二人とも国民の啓蒙を重んじて、独立心と自尊心を持つように国民を啓蒙していった。
西洋文化の導入は21世紀の現代にまで尾を引く重要な問題である。グローバル化の流れの中で、アジア諸国は再び「外国文化の侵入」の問題と直面している。どういうふうにバランスを取ったらよいのか、それも現代の学者が研究している課題である。梁啓超と福沢諭吉が中日文化の近代化の中で体験したこと、反省したことの中には、私たちが今日なお参考、学習すべきところが多々あると考えられる。
キーワード:文明開化、近代化、西洋文化、文化摂取、国民教育
摘要:由于西方列强的入侵,中国与日本陷入了前所未有的民族危机中。梁启超与福泽谕吉深知国情,并致力于以西学救国。他们二人为塑造具备独立心和自尊心的新国民,都非常重视国民的启蒙教育。
西洋文明的引入问题对于21世纪的现在仍留有巨大影响。在全球化的洪流中,亚洲各国又不得不再次面对“外国文化入侵”的问题。而如何在这之中取得平衡,这是现代学者正在研究的课题。梁启超,福泽谕吉在日中文化的近代化过程中的经历、反思,对于解决这个问题是具有参考学习的价值的。
关键词:文明开化、近代化、西洋文化、文化摄取、国民教育
目次
要旨2
はじめに4
一 梁啓超と福沢諭吉の時代的背景の特徴の異同について5
二 梁啓超と福沢諭吉の思想の形成及び、福沢諭吉が梁啓超に与えた影響8
2.1 日本へ行く前の梁啓超の体験と思想9
2.2 梁啓超の思想形成に与えた日本啓蒙家の影響10
2.3 福沢諭吉の体験と思想形成12
2.4 福沢諭吉が梁啓超に与えた影響13
三 梁啓超と福沢諭吉の自国文化発展への影響15
自国文化への態度15
外国文化への態度16
貢献と限界16
終わりに18.
参考文献20
中日文化の近代化の比較研究
――梁啓超と福沢諭吉を中心に
はじめに
18世紀に入ると、イギリスは産業革命が始まった。そして、西ヨーロッパから始まった近代化の波は全世界に波及した。1853年7月8日、アメリカの使節ペリーが黒船で江戸湾の入り口浦賀沖に現れた。「開港」の要求を出して、江戸幕府を脅かした。その結果として1854年に締結された「日米和親条約」から、日本の近代化が始まると思われる。中国では、1840年に始まったアヘン戦争により開国を迫られ、近代化の流れが始まった。このように、日本も中国も欧米勢力の「外圧」で、受動的に開国し、近代化が始まったのである。
中国と日本が近代化の道を歩き始めた時期は大体同じである。両国はその出発点において生産力、文化などに共通点が多い。しかし、歴史的に見れば、ヨーロッパ文化との接触や学問の摂取は、中国のほうが日本より早かったのであり、科学、技術以外の情報も中国経由で日本に入ったものが多かった。けれども、その後の近代化のテンポは日本のほうが速かったのである。それは欧米列強の「圧力が中国に集中していた」からとの解釈もあるが、変化に対する中日両国の適応力の差もあると思われる。日本の方が中国に比べて、変化に対する適応性があるので、日本のほうが先に近代化を遂げ、哲学、政治、法律などの西洋文化は日本経由で中国に入り、中国の近代化を推進することになったのである。
近代化に対して、両国の知識人はそれぞれ独自の反応を持っていた。梁啓超と福沢諭吉は啓蒙思想家として、社会に強い影響を与えたのであるが、思想形成までの体験は違っている。梁啓超は伝統的な中国式の文人として、科挙を受けて、政治で活躍していた。戊戌変法が失敗した後は、日本に亡命した。これをきっかけに、たくさんの西洋の書物を日本語訳で読んだ。西洋文化と接触して、中国国民の思想と文化の近代化に力を入れていたのである。
梁啓超に深い影響を与えた日本の啓蒙思想家の筆頭は福沢諭吉であった。下級武士の家に生まれ育った福沢諭吉はまず「蘭学」と接触して、後に英語を習った。そして、アメリカとヨーロッパへ行って帰国後、「文明開化」を主張する。梁啓超と福沢諭吉は二人とも国民の啓蒙を重んじて、独立心と自尊心を持つように国民を啓蒙する。彼らは自分の国を列強の侵略から救うために、西洋文化を活用するように努力した。確かにこの時期、西洋文明は近代化に不可欠であった。しかし、何事でも両面がある。
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