论理的思考.PDF

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教養と学問の前に 第 Ⅰ部 論理的思考 Logical Thinking for Liberal Arts and Academic Disciplines 六示 豊嗣 Toyotsugu Mutsukami LAAD00 はじめに はじめに 現代日本では、論理的思考の重要性が声高に説かれている。高校生にとっ て最も関心が高いであろう大学入試に関しても、暗記偏重が批判され、論理 的思考力を問うような入試を課すべきだという主張がなされている。さらに は、筆記試験の得点至上主義を改め、議論や討論ができるように訓練すべき で、そういった力を重視すべきだとも言われている。このような世間の風潮 は、論理的思考力が大学で教養と学問を修得するために重要であるだけでは なく、卒業後に大卒として知能労働に従事する者に求められる社会的要請で もあることを反映している。そして、それが不十分だと思われているのだ。 論理的思考が重要だ、知識偏重ではだめだ、議論する力が必要だ、といっ た主張はよく分かるが、どのようにそれを達成すべきなのだろうか。知識偏 重を批判して論理的思考力の重要性を説く主張の裏側には、現在の学校教育 が知識を覚えさせるだけで論理的思考力を鍛えていないという暗黙の前提が ある場合が多い。 では、論理的思考力は、いわゆる「学校の勉強」を通じて養うことは本当 にできないのだろうか。確かに、受験勉強に代表される「学校の勉強」は、 論理的思考力を養うことに重点が置かれていない。もっと正確に言えば、論 理的思考力があることを前提に、「学校の勉強」は構成されている。つまり、 本来「学校の勉強」以前に習得すべき論理的思考力が、教授されることなく 所与のものとして、「学校の勉強」が構成されているということだ。「学校の 勉強」では、各教科、各分野で論理的思考の一部が出て来て、様々な教科の 学習を通じて、論理的思考を問うように構成はされているのだ。 しかし、論理的思考を身に付けられていない者にとっては、この分散され た論理的思考ゆえに苦痛となる。知識もその使い方も提示されるが、その背 景を貫く論理的思考について明示されない、または部分的にしか提供されな いために、思考の一貫性が形成されず、場当たり的な処理を行わざるを得な い。漸次的 ・部分的に論理的思考の方法が示されてはいるので、学習者が、 自力で各教科に現れる部分的な論理的思考を拾って体系化すれば、「学校の勉 強」でも論理的思考力を養うことはできると言える。確かに、僅かな優秀な 者はそれができるが、多くの平凡な生徒は、それができていない。だからこ そ、現在のような論理的思考の重要性と知識偏重の批判の主張がなされてい ると分析できる。つまり、問題は、現在の学校教育が知識偏重なことではな i はじめに く、それを使いこなすための基礎である論理的思考についての体系的な形で 教授されていないことにある。 これは議論する力の問題にも関わってくる。論理的思考の体系なしに、分 立する知識を使って議論しても、議論する力は、議論万能論者が考える程に は上がらない。要するに、やたら滅多に議論の練習をしても、それが体系的 な論理的思考に裏打ちされたものでなければ、今の「学校の勉強」の使えな い知識と批判されるものと同じく、使えない議論の能力に終わる。さらに、 暗記偏重と批判される「学校の勉強」程度の知識もなしに、有意義な議論を できるとは到底思えない。情報化社会において調べれば分かることは覚えて も仕方ないと言われることがある。これは確かにそうではあるが、知識を覚 えることばかりに意識と時間を奪われるべきではないという警鐘として捉え るべきで、拡大解釈すべき

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