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水光山 大應寺
所在地 : 埼玉県富士見市水子1765
宗旨・宗教 : 真言宗智山派 (総本山は、京都の智積院)
本尊: 不動明王
<道路より鐘楼門・本堂を見る>↑
■創建
水光山大応寺は立派な山門をもつ古寺で、真言宗智山
派(総本山は京都智積院)に属しています。創建は不詳
ですが室町時代の開山の祖が天文17年 (1548)没
して以来、34世を数えると言われます。
富士見市史には・・・
草創年代は明らかでないが、寺の過去帳に「法印賢憲 天
文十七年示寂」とあり、下っても戦国時代には存在した
ことを示している。中興開山は宥勝(貞享二年六月二九
旦小寂)とのことである (新編武蔵風土記稿)。この人
物は、江戸時代初期の醍醐寺報恩院末寺に「武州入間郡
水子村大応寺 宥勝(花押)」とあることでその実在が
確認できる。
・・・と記載されています。
■由来( 「ふじみの伝説 ・昔ばなし」から)
大応寺は、開創も八百年は溯ると言われていますが、古い寺歴を伺わせる一つの
伝説があります。
夜になると池の水面が光りだすので、不思議に思っていると、旅の僧が原因は底
にあるというのでさらってみると、一体の仏像を発見しました。村人は旅僧の言葉
に従って、仏像を本尊に一寺を建立して、水光山大応寺としました。旅の僧は弘法
大師だったといわれています。池の水は涸れましたが、池畔に祀られている琵琶を
弾く弁才天は、田中善左エ門「於喜与」と女性の名を刻んだ珍しいものです。
弁財天の前、涸れた湧水池
本 堂
↑本堂は寛政元年(1789)に建てられたものが、平成21年 (2009)に建
て替えられました。
山岡鉄舟筆「水光山」の額↓
鐘楼門
鐘楼門は享保4 年(1719)造立されたもので、朱色の回廊の見える上層部が鐘撞堂に
なっています。近隣にもあまり見かけない鐘楼門です。
↑コンクリートの釣鐘
なんのため、
いつ造られたでしょうか?
・・・戦争中のことです
大應寺のパンフレットの抜粋です。
記載日:2014/4/5
この内容は、「大應寺のパンフレット」と 「郷土富士見検定問題集」、 「富士見市史」、「富士見
のあゆみ」、「ふじみの伝説・昔ばなし」等から、記載しています。
↓次のページに桜風景の写真を貼付ました。↓
ついでの桜風景(大應寺)
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