- 1、本文档共4页,可阅读全部内容。
- 2、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
- 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载。
- 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
查看更多
2015‘先进研究奖励’费申请书-西南学院大学博物馆
2015 年度 「先進研究奨励」費 申請書
学籍番号:17MK001
氏 名:阿部 大地
学 年:博士前期課程1 年
研究課題名:幕末・明治初期万博における日本展示の再検討
―本草学者と博物学者の展示手法を中心に―
研究概要
本研究は、幕末・明治初期の万国博覧会における日本の展示方針と本草学、および博物
学の関係を考察するものである。
幕末、開国したばかりの日本は、西洋諸国にその全容を正確に認知されていい状態で
あった。そこで、誤ったイメージを払拭しつつ、正当な独立国家としての日本をアピー
ルするため、幕末から明治にかけて日本は万国博覧会に積極的に参加していた。
1
このように、万博を日本の国家像模索の場として捉えた研究はすでになされており、
また、個々の万博における展示方針も当時の報告書によって明らかにされている。しか
し、実際に展示方針を画策する段階では、従来の日本では在来の本草学的知見を用いる
一方、万博会場は西洋の博物学にのっとった構成をしていたために、両者間のモノの認
識・分類にはズレが生じていた。この齟齬は、幕末に参加した 1867 年第2 回パリ万博と
明治政府が初参加した1873 年ウィーン万博において特に顕著である。よって、本研究で
は、両万博における日本の展示方針を模索する上で、本草学・博物学がどのように作用
しあったのか検証したい。
1 この立場による代表的な研究に、伊藤真実子『明治日本と万国博覧会』吉川弘文館、200
8年。
- 1 -
研究目的と意義
【研究目的】
日本が万博に参加する上で、どのような展示方針を取ったのかは、残存する報告書と
2
先行研究 により、その多くがすでに解明されている。それは、明治政府が参加したウィ
ーン万博以降、まず優良工芸品を国内で選定した上で、ヨーロッパ向けに規格を変更す
るといったものであった。また、万博における日本の展示が、時代の流れとともに変貌
3
していく様や、当初から変わっていない側面を明らかにした研究 もなされており、日本
は万博参加の際、ヨーロッパから「見られる」ことを意識した展示をしていたことが判
明している。
しかし、最初の万博参加、つまり江戸幕府が参加した第 2 回パリ万博では、明確な展
示方針が存在していなかった。ヨーロッパを意識し、国家像を提示しようとする展示方
針が定まるのは、明治政府になってからであった。
両者の展示方針に違いをもたらした要因のひとつに、小シーボルトやワグネルといっ
たお雇い外国人の存在が挙げられる。彼らはヨーロッパで歓迎される展示方法を日本政
府に提案したが、その根底にあったモノの認識は日本にそれまであった本草学的なモノ
の認識とは異なっていた。そこで、展示方針の形成プロセスに関して十分に検討がなさ
れていない課題として、以下の点が挙げられる。
①展示に関与した人物の万博経験前後の問題意識
万博の報告書には、展示方針について具体的な説明がなされているが、その展示方針
がどのような経緯で決められたのかは、あまり記録に残っていない。両万博の展示に関
与した人物は、いずれも明治政府の中心的人物であったため、個別に研究がなされては
いるものの、幕末のパリ万博参加前と後では、価値観や問題意識が当然変化した可能性
がある。このような視座で人物に注目した研究は管見の限り少なく感じられる。
②展示準備における人的交流の諸相
幕末の第 2 回パリ万博は幕府、薩摩藩、佐賀藩がほとんど個別に準備を進めていた。
展示関係者が合流したのは、ウィーン万博参加の準備が開始されてからである。1 度は個
別に万博を経験し、2 度目の万博で各自の問題意識がどのようにして展示に反映されたの
か、その変化過程に注目した研究はさほど多くない。
よって、本研究は上記2 点の課題に取り組むことを目的とする。
2 ウィーン万博の展示方針については角山幸洋偏『ウィーン万国博の研究』関西大学経済
・政治研究所、1999年に詳しい。また、明治前期を通じての展示方針には前傾『明治日本
と万国博覧会』pp. 13~71参照。
3 ロッキャー,アンガス「博覧会の拘束、日
文档评论(0)