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研 究 報 告
日本の戦争指導-3つの視点から-
戸部 良一
はじめに
『支那事変戦争指導史』を著わした堀場一雄によれば、「戦争指導の要諦は、戦争目的
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の確立、進軍限界の規整及戦争終結の把握となす」 とされている。言うまでもなく堀場
は、支那事変の戦争指導がいずれの点においても拙劣で欠陥に満ちていたことを論じた。
彼によれば、事変勃発後 1年以上経ってようやく国策レベルで「道義的」な戦争目的
が確定されたが、その確定に至る過程で、あるいは確定後も、「道義的」戦争目的は戦果
に伴う過大の欲望や犠牲に対する代償の要求と競い合わねばならなかった。また、戦争
指導よりも作戦指導が先行しただけでなく、軍中央の作戦指導よりも現地の作戦が先行
した結果、戦局が拡大し、進軍限界が越えられてしまった。さらに、作戦の先行と専行、
戦勝感の横溢のために、持久戦の認識と決意に乏しいまま、戦争終結のチャンスを捉え
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ることができなかった 。
堀場の主張は、「道義」の強調のくどさがかえって彼の所論を邪魔している嫌いはある
が、概ね正鵠を射ていると言えるだろ う。では、彼によれば支那事変の破綻の結果始め
られた大東亜戦争の戦争指導はどうだったのだろうか。支那事変の拙劣だった戦争指導
の経験と反省を踏まえて、大東亜戦争における戦争指導は充分な改善がなされただろう
か。相対的に戦力が劣る中国を相手とした戦争ならば、戦争指導が拙劣でも直ちに敗北
を招くことにはならなかった。だが、強大な米英を相手とする戦争では、戦争指導の過
ちは致命的結果をもたらすことになるはずであった。以下、この小論では、堀場が挙げ
た戦争指導の3つの要諦、すなわち戦争目的の確立、進軍限界の規整、戦争終結の把握
の3点について、大東亜戦争における戦争指導の実態を検討し問題点を指摘することに
する。
1 戦争目的の確立
上述したように、支那事変では、その戦争目的の確立までに1年以上の時間を要した。
その最大の原因は、事変が明確な開戦決意と計画によって開始されたのではなく、おそ
らくは偶発的な衝突がエスカレートして済し崩し的に日中間の本格的な武力紛争になっ
1 堀場一雄 『支那事変戦争指導史』(復刻版・原書房、1973 年)38 頁。
2 同上、38-40 頁。
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たという点に求められる。これに対して、大東亜戦争は明確な開戦決意と計画の下に開
始された。したがって、戦争目的は始めからしっかりと確立されていたはずであった。
しかし、実態は必ずしもそうではない。
この点で興味深い議論を提示しているのは森松俊夫氏である。森松氏によれば、日本
の戦争目的は、「自存自衛」と 「大東亜新秩序 (大東亜共栄圏)建設」の2つが掲げられ、
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戦争指導者の間でも認識や解釈に異なるところがあり、不統一で透徹していなかった 。
例えば、開戦直前の 1941 年 11 月 5 日御前会議決定 「帝国国策遂行要領」では、「自存
自衛ヲ完フシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英蘭戦争ヲ決意」する、とされて
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いる 。ここでも、2つの目的が並置されていた。注目されるのは、来るべき戦争を 「対
米英蘭戦争」と呼んでいることである。「大東亜新秩序」を戦争目的の1つとしながら、
それを戦争の呼称とするまでには至らなかったのは、それが第一義的な目的ではなく、
「自存自衛」に重点があったからであろう。
陸軍首脳部では、「自存自衛」のためには大東亜新秩序を建設しなければならないと考
えられ、したがって「大東亜新秩序建設」は従属的な戦争目的と位置づけられていたと
される。しかし他方、開戦前の陸軍の一部には、戦争目的を限定しておかないと、戦争
指導に動揺を来す、あるいは戦争終末の捕捉が難しくなる、という憂慮があったとも
いう5。
ここで仮に、戦争目的を 「自存自衛」に限定すべきだとする主張を 「自存自衛論」と
し、これに対して2つの戦争目的を並置しつつ
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