即位前的唐太宗·秦王李世民集团の北齐系人士分析 (1).pdfVIP

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即位前的唐太宗·秦王李世民集团の北齐系人士分析 (1).pdf

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駿台史学第125号21-45頁,2005年8月

SUNDAISHIGAKU(SundalHistoricalReview)

No.125.August2005.pp.21-45.

即位前の唐太宗・秦王手世民集団の

北斉系人士の分析

堀井裕之

要旨唐の二代皇帝太宗李世民の治世(626~649)は,「貞観の治」と称され,唐政権

が確立した時期として注目される。李世民は武徳9(626)年6月4日,玄武門の変と

いう非常手段を以て即位した。そして彼を推戴した背後勢力=李世民集団は,太宗政権

の中核として注目される。

先行研究では,李世民の背後勢力として,山東(旧北斉領域)に基盤を置き北斉の遺

臣の系譜を引く人士=北斉系人士が着目され,玄武門の変の背景には,関朧を基盤とす

る北周・晴政権が,山東を基盤とする北斉系人士を抑圧してきた「関防と山東の対立」

の構造が考えられてきた。しかしながら,彼らの具体的な人間関係・政治目的は解明さ

れないまま,李世民によって,山東に地盤を築くために,利用されたことのみが強調さ

れてきた。

こうした立場に立って,本稿ではまず人間関係を再現して,北斉系人士の殆どが,集

団性を以て李世民集団に参加したこと,この集団性の起源が,階政権で,北斉系人士の

,

代表格であった醇道徳の党派(=醇道衡グループ)にあることを明らかにした。その上

で,醇道衡グループの政治目的を考察し,不遇な北斉系人士の地位向上を目指したこと

を解明した。しかし醇道衡の失脚をもって・その目的は頓挫し・北斉系人士は不遇なま

ま,晴末の動乱を迎えた。かくして,醇道衡の北斉系人士の地位向上を目指す政治路線

は,李世民集団の北斉系人士に継承され,彼らは李世民を守り立てることを通じて,そ

れを果たそうとしたのである。

キーワード:李世民集団,玄武門の変,北斉系人士,関朧と山東の対立,醇道術

はじめに

唐の二代皇帝・太宗李世民は,「貞観の治」と称される唐代の確立期を生んだことで有名で

ある。その治世は,武徳9(626)年6月4日,玄武門の変において,兄と弟を殺し,父高祖

(李淵)に退位を迫ることによってもたらされた。では,このような厳しい権力闘争をへて,

次の「貞観の治」を現出せしめた李世民集団とは,どのようなものであったのだろうか。その

人的構成から性格はどのように理解できるのだろうか。

李世民の下に結集した勢力の全体像を示レ,基礎的研究を行ったのは,布目漸減氏であった。

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堀井裕之

氏は高祖朝の三省六部,李世民の薬王府,李建成の東宮,斉王手元吉の斉王府の人的構成を再

現し,個々の人物の系譜を分析した。その上で,太宗政権は基本的に,北朝後期の支配層から

変質していないことを論じ,西魏・北周の支配層が則天武后の立后までイニシアティブを握る

とされる陳寅恪氏の「関朧集団説」を補強したω。

その陳賓格氏であるが,氏は李世民集団の構成要素について,晴~唐初の史書に現れる山東

豪傑の存在に着目した。陳氏

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