标准日语中级教程上册课文(北大版).docVIP

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第1課  日本人の食生活 アジアの国々には昔から食事を主食と副食に分けて考える習慣がある。主食というのは、日常の食事の中心となる食べもので、普通は穀物である。副食というのは、その穀物とともに食べる、肉や魚や野菜などのおかずのことである。日本もこのような食文化圏に属しており、多くのアジア諸国と同様、主食は米である。 日本人の米食の歴史は古く、既に弥生時代から始まっていたと言われている。副食の中心は魚や貝や野菜であった。古くは肉食も行われていたようであるが、奈良時代に仏教が広まってからは、動物の肉を食べることが避けられるようになった。現在のように、再び肉が食べられるようになったのは、明治時代に入ってからである。 日本料理に使う調味料で重要なのは醤油であろう。中国や東南アジアにも似たものがあることはあるが、それぞれ味や香りが異なる。醤油は調理に使われるだけでなく、豆腐や刺身を食べるときなどかけたりつけたりしても使われ、和食になくてはならないものである。味噌も醤油ほどではないが、味噌汁を始め、煮物などいろいろな料理によく用いられる。もちろん、塩、砂糖、酢、ソース、それに最近は化学調味料も欠かすことはできない。 日本料理は一般的に味があっさりしていると言われている。東南アジアのスパイスを使った辛い料理や、油を使って揚げたり炒めたりするものが多い中国料理などと比べると、そのことがよくわかる。新鮮な材料が豊富に手に入る日本ではその材料の持っている味や香りを生かすことが料理の基本なのである。したがって、使う材料の最もおいしい時期を選んで、料理をすることが大切であり、また食卓の料理によって季節を感じるのである。更に、作った料理を入れる器も料理によって、季節によって、色、形、材質などを考え、合うものを選ぶ。「日本料理は目で食べる」という言葉があるように、ただ味さえよければいいというのではなく、見て楽しむことも大切だと考えられているのである。 戦前までは多くの家庭が和食中心であったが、戦後、特に昭和三十年代からの高度経済成長とともに食生活はバライエティーに富むようになったと言われる。学校給食の影響もあって、パンが広く食べられるようになり、洋食、中華と家庭での料理も豊かになり、豚肉、牛肉などの肉類や、卵、乳製品なども多く食卓に並べられるようになった。また、大都市では寿司、天ぷら、そばなど、和食の店のほかに中国料理、フランス料理、ロシア料理を始め、イタリア、ドイツ、スペイン、メキシコ、インドなど、各国料理の看板が見られるようになった。世界の味が手軽に楽しめることは国際化のひとつであると言える。 種類が増えただけでなく、便利にもなった。温室のおかげで野菜や果物の多くが一年中いつでも食べられるようになった。またスーパーへ行けばお湯をかけたり暖めたりするだけですぐ食べられる即席ラーメンなどのインスタント食品や冷凍食品も数多く並んでいる。その上、フライ、天ぷらなどの調理済みの食品の数も増えたし、買って持ち帰り、そのまますぐに食べられる暖かい弁当を売る店も盛んになった。更に、フライドチキンやハンバーガーなどを売っているファストフードの店では、待たされることもなく、すぐ暖かいものが食べられる。 このように、社会の変化につれて、日本人の食生活も大きく変わってきているのである。 第2課 心を伝える挨拶 ? 以前、ヨーロッパを旅行したとき、こんな経験をした。観光バスに乗って、あちらこちら見て回ったときのことである。 私は、三歳の孫を抱いていた。バスに乗り合わせた四十人ばかりの乗客はみな外国人だった。子供をかわいがる人たちだと見えて、私のそばを通るときに、孫の顔を見て、にっこり笑ったり、手を振ったり、孫の手を握ったり、あるいは自国の言葉で声をかけたりしてくれる。 そのうちに、一人の中年の婦人が突然孫の方に顔を寄せて日本語で「こんにちは」と言った。意外なことに私はびっくりしてしまった。いかにも人の良さそうな笑顔だった。おそらく、その人は日本に来たことがあるのだろう。日本語を覚えていて、しかも、私たちが日本人であることを知って、わざわざ日本語で挨拶をしてくれたのだろう。私はこういう人たちに大変親しみを感じた。 こんなとき日本人だったらどうだろうか。知らない人同士がバスに乗り合わせたら、互いに挨拶をするだろうか。どちらかと言うと、あまり話をしないのではないかと思われる。殊に、私たちみたいな子供づれの外国人がいたら、その人たちに対してどんな態度をとるだろうか。おそらく、積極的に声をかける人は少ないだろう。知らない人と話すのは恥ずかしい、面倒だ、などと大部分の人が思ってしまうのではないか。たとえば、こんなこともあった。 ある日の朝、ホテル中庭を散歩していたら、年配の夫婦に会った。す

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