日本陆军航空史11.docVIP

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08. 1. 21 村川淳一 日本陸軍航空史(その11) ~日華事変(4)~ 1 はじめに 本年もよろしくお願い申し上げます。昨年11月、12月は、何かと多忙につき、連載を休ませていただきましたことをお許しください。新春も今頃になってようやく書きました第一弾は、主として昭和15年(1940年)から昭和16年(1941年)にかけて行われた、北部?南部仏印進駐に伴う航空部隊の運用などの御紹介です。 この連載内容から話がそれますが、『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(福井雄三著?主婦の友社?平成19年12月発行)を読みました。私の郷里下関市の長府藩出身たる乃木希典大将と、私の知人の御先祖?薩摩藩出身の伊地知幸介参謀が馬鹿だったというのは、陸大の資料を主旨に反して脚色した、司馬遼太郎の創作であるということを知り、実に二十数年振りに、心が晴れました。 また、『乃木希典』(福田和也著?文春文庫?平成19年8月発行)を読み、巻末の参考文献の中で、『坂の上の雲』の歴史観が間違っているという本が数冊出版されていたことを知りました。 福井氏の著書では、「旅順要塞の攻略で6万人もの死傷者(戦死1万5千人、負傷者4万5千人)を出したが、第1次世界大戦では、フランスのベルダン要塞攻撃におけるドイツ軍の戦死者が75万人であり、近代的な要塞を攻略するには、乃木さんのような攻撃方法しかなかった」と述べられています。旅順要塞攻略作戦においては、もちろんさまざまな攻撃方法を試みていますが、予算の関係から砲兵の掩護射撃用砲弾が不足していたのも、犠牲者が多く出た原因のようです。御存知のように、優秀だとされた児玉源太郎大将も乃木さんと同じ山口県の宇部藩出身です。  脱線ついでに、もう一冊の本を御紹介します。『「南京事件」の総括』(田中正明著?小学館文庫?平成19年7月発行)は、東京裁判で突然出てきた、いわゆる『南京大虐殺』が捏造であることが、多くの証言や詳細な記録をもとに書かれた秀作です。御一読をお勧めします。 2 北部仏印進駐に伴う航空運用1) 進駐前の情勢     昭和15年(1940年)9月23日、日本軍は北部仏印(フランス領インドシナ)のハノイに進駐しました。その目的は、援蒋ルートを遮断して、日華事変を早期に終結させることにありました。 昭和15年、ドイツ軍の電撃作戦に席巻されたフランスのペタン政権は、6月22日に降伏しましたが、日本政府はそれより前、フランスに対して「仏印と支那の国境を閉塞し、その状況視察のために軍事専門家を派遣したい」と要求し、6月20日に承認を得ました。しかし、仏印側との交渉は難航し、9月4日になってやっと成立しました。その内容は、ラオカイ、フートー及びヴィンイェンの3飛行場の使用と、5千名の兵員の進駐でした。 陸軍の勇み足 ところが、仏印側が9月5日に、「日本陸軍機9機編隊が3回にわたって越境飛行をし、また、 鎮南關の陸軍部隊が侵入した」という理由で、協定を破棄してきました。陸軍の進入は事実であり、大本営?政府は、地上部隊を引き返させますが、他方、交渉決裂の場合は、9月23日零時以降、陸路、24日以降、海路から自主的進駐を行うことを決定しますから、我が国の態度は強硬でした。  陸海軍の協議を終えた、参謀本部第1部長?富永恭次(きょうじ)少将はハノイで、使用飛行場を5、警備兵力2.5万名を駐留させるというエスカレートした要求をします。日本軍と戦っても勝ち目がない仏印側はやむなく、9月22日にそれを呑みます。  北支?中支に重点配備されていた 第3飛行集団(集団長?木下敏中将) は、南支那方面転用を命ぜられ、9月 17日に、安藤利吉南支那方面軍司令 官の指揮下に入りました。  残念なことに、平和進駐の指示は徹 底しませんでした。第5師団(広島の 兵)は9月23日零時、鎮南關方面か ら攻撃を開始し、仏印軍と戦闘を開始 しました。 第3飛行集団は方面軍司令官の 命令に基づき、「戦闘停止、支那領内 への引揚げ」を指示するビラを投下し ましたが、第5師団はそのまま、攻撃 を続行し、25日、ランソンを占領します。  そのうち、第3飛行集団も、地上部隊の掩護のために爆撃をしたそうですから、なりゆき任せの作戦行動でした。このときに、仏空軍のモランソルニエ戦闘機の数機と遭遇し、それが航空偵察を妨害したため、そのうちの1機を撃墜しました。当然、宣戦布告はしていません。   海路においても勇み足がありました。印度支那駐屯軍司令官?西村琢磨少将は、ハイフォンに平和上陸する予定でしたが、鎮南關方面で戦闘があったために仏印側から上陸延期の申し出があるや、それにかかわらず9月26日未明に進攻し、ハイフォンを占領してしまいました。地上戦闘はなかったのですが、軽爆中隊

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