- 1、本文档共12页,可阅读全部内容。
- 2、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
- 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载。
- 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
- 5、该文档为VIP文档,如果想要下载,成为VIP会员后,下载免费。
- 6、成为VIP后,下载本文档将扣除1次下载权益。下载后,不支持退款、换文档。如有疑问请联系我们。
- 7、成为VIP后,您将拥有八大权益,权益包括:VIP文档下载权益、阅读免打扰、文档格式转换、高级专利检索、专属身份标志、高级客服、多端互通、版权登记。
- 8、VIP文档为合作方或网友上传,每下载1次, 网站将根据用户上传文档的质量评分、类型等,对文档贡献者给予高额补贴、流量扶持。如果你也想贡献VIP文档。上传文档
查看更多
Title19世紀末フランスにおける家庭教育像--週刊誌『ラファミーユ』の考察を中心に--
Title
19世紀末フランスにおける家庭教育像 --週刊誌『ラ?フ
ァミーユ』の考察を中心に--
Author(s) 井岡, 瑞日
Citation 人間?環境学 (2012), 21: 9-19
Issue Date 2012-12-20
URL /2433/180675
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
人間?環境学,第 21巻,与19頁, 2012年 9
19世紀末フランスにおける家庭教育像
一一週刊誌 fラ?ファミーユ』の考察を中心に一一
井岡瑞 日
京都大学大学院 人関?環境学研究科共生人間学専攻
T 606-8501 京都市左京区吉田二本松町
要旨 本稿は,公教育体制が成立した 19世紀末フランスの家庭教育像を,週刊誌 fラ?ファミー
ユjLa Famille (1879-1921)を手がかりとして考察するものである. rラ?ファミーユjは,共和
主義に親和的な立場をとる中間階層をターゲットとした家族向け雑誌であり,多数の人々に読まれ
ていたことが想定できる.そこでは,情愛あふれるあたたかな家庭空間で,母親が情操豊かに我が
子を背てるという家庭教育イメージが表された.こうしたイメージが雑誌メディアを通じて量産さ
れたことは,家賠教育が,母親の愛情によって特徴づけられる,学校教育とは分化した教育形態と
して,人々の間に浸透しつつあったことを示唆していると替える
はじめに
(1) 本稿の昌的
フランスにおいて,第三共和政の成立は,カト
リック教会の影響力が家庭生活やその教育活動に
深く根ざしていた時代の終罵でもあったり.これ
1),1嘩,家庭教育を取り巻く状況は,様々に変化し
ていくこととなる.例えば p.ドュアニングは,
19世紀末における育児学や小児医学,家計学な
どの発達により,これら多様な立場からの眼差し
が家庭教育へ向けられるようになっていったとし
ている2) 一方,当時は,初等教育の
-非宗教性の確立や女子リセ?コレージ、ユの創
設に代表される諸々の公教育化政策が断行された
時代でもあった.こうした中,第三共和政は,教
会に代わる新たな宗教教育の担い手として,家庭
への注目を高めていった3) また,公教育を推進
する立場から, I家庭における教育Jeducation
dans la farni1eが学校教育の対概念として語られ,
両者の連関が模蒙されるようになる4) このよう
に,公教青体制の成立という点においても,家庭
教育は変容を迫られていったと考えられる
しかしながら,この時代の家庭教育が,実際に
どのように行われていたのかという点に焦点化し
た研究はほとんど存在しない.その理由は, I家
庭教育は自常生活のリアリティーに深く食い込ん
でいるがゆえに,科学的研究となることは極めて
まれであるというそもそもの事情に加え,
「われわれの想像以上に根が深いJIフランスの公
における f世俗性原則』をめぐる問題J6) に
あると考える.公教育体制の成立過程は,教育を
めぐる国家と教会との蛾烈なヘゲモニー争いの終
幕であり,多くの研究者の関心を集めてきた.そ
の結果,人々の生活の中で確かに行われていたは
ずの家庭教育は, 日常的な, とるに足らないもの
として等関視されてきたのではないか.むしろ,
いくつかの先行研究が着目してきたのは,学校教
育化が十分で、ないために,私的領域で行われるべ
きとされた第二帝政期以前の女子教育である7)
そこでは,女子修道院が女子教育の主翼を担って
おり,家躍はその傘下において,娘に宗教教育や
家事の手ほどきを行ったのである
公教育体制が完遂した 1880年代から 1890年代
にかけて,人々はどのような家庭教育のあり方を
し実践したのか.執筆者は,この間いを明
らかにするために,プレス法 (1881)制定に後押
nu
B
B
A
井 岡 瑞日
しされて,加速度的に興隆しつつあった雑誌メ
ディアに着目した. 日常生活において活字文化が
な役割を担っていた当時,雑誌メディアは
人々の規範形成に多大な影響を及ぼしたと考えら
れる.この点で,雑誌史料をひも解くことは,家
庭教育という「日常生活のリアリティーJに接近
するための有効な手立てとなろう 本稿では,家
族を読者対象とし,教育についても多く言及した
週刊誌『ラ?ファミーユJを史料とする 以降の
は,この雑誌の紹介と,そこに表れる家庭教
育像について,言説及び関像を中心に読み解いて
いく.結論を先取りすると, rラ?ファミーユ』
からは,子どもの家庭教育が母親の愛情に結び付
けて語られるという特徴
文档评论(0)