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Title廣松渉の思想―内在のダイナミズム―( Astract 要 )Isue Dte UL Rght
Title 廣松渉の思想―内在のダイナミズム―( Abstract_要旨 )
Author(s) 渡辺, 恭彦
Citation Kyoto University (京都大学)
Issue Date 2015-03-23
URL /10.14989/doctor.k19061
Right
Type Thesis or Dissertation
Textversion ETD
Kyoto University
( 続紙 1 )
京都大学 博士( 人間?環境学 ) 氏名 渡辺 恭彦
論文題目
廣松渉の思想——内在のダイナミズム
(論文内容の要旨)
本博士学位申請論文は、ドイツ観念論、現象学、マルクス主義といった広範な哲学?
思想領域を渉猟し、独自の哲学体系を構築していったわが国の思想家?廣松渉を、思想
史上に正当に位置づけようとする試みである。本論の問題意識は、歴史的?社会的文脈
に逃れがたく投げ込まれている人間が、内在のうちにあっていかにして主体性を発揮し、
自らすすんで歴史に介入?刷新できるかという点に向けられており、これを廣松の思想
的格闘のうちに読み取ろうとするところにある。それは論文の副題「内在のダイナミズ
ム」にも明らかなとおりである。
本論文は、9つの章で構成されており、おおむね年代順に廣松の著書?論文?時事発
言を検討しながら、彼の思想の出発点から収斂点までをたどってゆく。
第1章では、新左翼運動における廣松渉の思想動向に焦点があてられ、1970年に名古
屋大学を辞職するまでの彼の思考が、学生運動の実践活動とからめられながら、前衛(自
覚的学生)と大衆をいかに結ぶかという解決困難な問題系をめぐって動いていたことが
論じられる。
第2章では、廣松が、疎外革命論(人間の「本来の」あり方を奪回せんとする社会革
命論)を唱える黒田寛一らとの党派的対立のなかで、マルクスの『ドイツ?イデオロギ
ー』の厳密なテクスト?クリティークを通して、物象化論を打ち出すにいたった経緯が
たどられる。疎外論のように彼岸に超越的ユートピアを立てるのではなく、あくまで社
会に内在する立場から社会を変革しようとする廣松の革命観があぶり出される。
第3章は、主として廣松の『資本論の哲学』(1973年)の解読にあてられ、廣松がそ
の物象化論をもとにマルクスの『資本論』をどのように読み解いていたかを示す。廣松
が、『資本論』の価値形態論の構造分析的解釈において、商品世界に内在せざるをえな
い主体がもとより商品世界を超出できないこと、物象化を免れることができるのは生産
場面における「観念的扮技による役割行動」によるしかないという見方(「役割理論」)
を積極的に打ち出しつつあることが明らかにされる。
第4章では、廣松の著書『世界の共同主観的存在構造』(1972年)と論考「役割理論
の再構築のために」(1986-88年)が分析され、彼が、G?H?ミードの社会的自我論の援
用を通して、個人が環境にゲシュタルト的に巻き込まれつつ自我を形成してゆく存在で
あること、主観と共同主観を截然と区分することは不可能であることを強調している点
が確認される。共同体のなかでの役割存在としての人間のありかたを動かないとするの
であれば、そこで人間の主体性と自由がどのように確保されうるのかという問題が、ア
ポリアとして廣松に強く迫ってきていることが示される。
第5章は、M?フーコー、L?アルチュセールの権力論をも参照しながら、役割行動を
通してミクロ次元での権力から国家権力といったマクロ次元での権力までが作り出され
てくるという点が検討され、廣松が、我と汝の関係における非対称的な役割理論をもと
に国家廃絶への道を構築しようとしていたことが明らかにされる。個々人が下部構造に
おいて非対称的に役割を担いつつ物質的な基盤に働きかけて構造変動を起こす実践を通
して「新しい社会的生産協同聯関態」を作り出すこと、廣松がそこに、国家権力を主体
的に打破してゆく可能性を見ようとしていたことが示される。
第6章は、廣松の晩年のポレミックな新聞発表「東北アジアが歴史の主役に」(1994
年)をかつての京都学派の「近代の超克」論と対照させながら、両者の決定的な社会把
握の違いを問題にする。大戦の終局的目標を優先するあまりヨーロッパ的限界としての
資本主義社会を把握しそこねたというのが、京都学派に対する廣松の根本的な批判点で
あり、本章はそこから、彼が打ち出す東北アジア論が、大東亜共栄圏論とは異なる「真
の人倫的共同体」なるものを構想しようとしたものであることを論証する。そして、そ
の実現に不可欠な
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