国宝慈照寺银阁発掘调査と予察-京都府埋蔵文化财调査研究センター.PDF

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国宝慈照寺银阁発掘调査と予察-京都府埋蔵文化财调査研究センター

国宝慈照寺銀閣発掘調査と予察 引原茂治 1.はじめに 慈照寺は、室町幕府第8代将軍足利義政が営んだ山荘東山殿を前身とする。義政は文明 14年(1482)に東山殿の造営に着手し、翌年、常御所が完成するとこの地に移り住んでいる。 その後も東山殿の造営は続き、長享3年(1489)には観音殿(銀閣)が上棟するが、翌延徳2 年(1490)に義政は銀閣の完成を見ることなく没する。以後、義政の遺命により、東山殿は 慈照寺という寺院となる。戦国期の争乱によって、東求堂・銀閣以外の建物は失われ、慈 照寺は荒廃する。江戸時代初期に大規模な整備が行われ、慈照寺はほぼ現在の姿に近い状 況になったとされる。大正3年(1914)に銀閣の解体修理が行われ、礎石の下にコンクリー ト基礎が入れられる。 今回の調査は、国宝慈照寺銀閣保存修理工事に伴って実施した。調査期間は平成21年2 月2日~3月6日と平成21年6月15日~6月29日である。 2.層序 1層は、白灰色細砂質土で、大正時代の解体修理に伴う化粧土と考えられる。2層は、 淡橙褐色砂質土で、大正時代の盛土と考えられる。 3層は、灰黄色砂質土で、堅く締まっている。大正時代以前のタタキ状の整地土と考え られる。4層も、3層と同時期に施された整地土と考えられる茶褐色砂質土である。これ ら2層は北側中央の礎石2では礎石の掘形の内部にまで及んでいる。銀閣の柱を受ける礎 石の大半は大正時代にコンクリートの基礎を入れられているが、この礎石2ではコンク リート基礎が無い。以上の状況から見て、この礎石2は大正時代に動かされていない可能 性がある。同様に、銀閣母屋部分北辺の東側および西側の礎石1・3についても、コンク リート基礎が無く、移動していないものとみられる。コンクリート基礎が入った礎石のう ち、東西辺中央の礎石7・11でも、攪乱されていない部分で、3・4層の下降を確認して いる。なお、銀閣内中央から南側にかけて、3層上に堅く締まった層があり、大正時代以 前に施された化粧土とも考えられる。 5層は、灰色砂質土で、礎石の掘形はこの層の上面から掘り込まれる。現地点における -355- 京都府埋蔵文化財論集 第6集 第1図 調査地平面図 銀閣建立時の盛土層とも考えられる。礫を含み、茶褐色を呈する部分もある。なお、この 層には落ち込み状の土色変化がみられるが、その性格は不明である。地業に伴うものか。 この層には15世紀後半頃の遺物が含まれる。 6層は、黄茶褐色砂質土で、礫を含む。少量ながら遺物を含む。7層は黒灰色砂質土で、 -356- 国宝慈照寺銀閣発掘調査と予察 図 面 断 地 査 調   図

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