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馆野和己大英博物馆藏敦煌汉简调查记
大英図書館蔵点語漢簡調査記
舘野和己
1 はじめに
オーレル・スタイン(Aurel Stein)は3度にわたって中央アジアを探検したが、そのうち
1906年から1908年にかけての第2次中央アジア探検の途中、1907年3.月25日から翠煙北
方の疏勒河南流域において、漢代の長城の跡と多数の狼煙台である峰燧の遺跡を見つけた。
その時、峰燧遺跡などからは総計704点の木簡が出土した。また第3次中央アジア探検
(1913~1916年)でも、照焼付近の、第2年半りは東の地域で漢簡167点を発見した。そ
れらの漢簡は、漢代の岬山遺跡で作られ、用いられ、廃棄されたものであり、敦煙付近に
おける漢の辺境警備の実態を示すものとして、貴重なものである。さらには野饗の近辺か
らは、スタイン以後においても、馬手湾や懸泉置などから木簡が出土しており、それらは
上院漢簡と総称されている。
敦煙漢簡には、十一都燧・獲虜燧・美水燧・服甲州・厭胡燧をはじめとする多数の峰燧
や、大寺都候官・厭胡候官・広階層官などの候官、それ宜禾都尉・玉門都尉などの名も記
されているが、当時は5~10の峰燧からなる部という組織、部の上に位置する候官、さら
に酉町を統括する都尉府が、当該地域を治める敦煙郡の下に置かれていた。都尉府として
は疏勒河に沿って東から西へ、宜禾・中部・玉門都尉府の3つが置かれていた。
木簡に名が見える警官や堅甲が、どの遺跡に比定できるかということについては、まだ
ごく一部しかわかっていない。そうした作業は当該地域の遺跡の解明に必要かつ有用であ
ることは間違いないが、まだ筆者は自分でそれを行うまでには進んでいない。そこで今回
は、それへの前提として、大英図書館で行った木簡調査の成果を報告することとする。
スタインコレクションの敦焼漢簡は現在、大英図書館に所蔵されている。筆者は2005
年10月26日から11月5日まで、英国ロンドンを訪れ、大英図書館所蔵の敦爆薬簡を調査
した。この調査には、漢簡管理の責任者である同図書館東洋部門のフランセス・ウッド
(Frances Wood)博士の協力を得、調査第1日目の10,月27日には、漢簡が保管されている
収蔵庫にいれていただき、木製のキャビネット(cabinet)の引き出し(drawer)に整理保管さ
れている木簡全体を概観し、丁寧に観察すべきものの見当を付けた。そして翌日からは、
一般の人たちも利用する閲覧室において、調査を希望する引き出しを請求し、それを収蔵
庫から出してきてもらい、実見することにした。
漢簡は自然乾燥状態で、引き出しの中に、エドワルド・シャバンヌ(Edouard Chavannes)、
アンリ・マスペロ(Henri Maspero)、夏煎によって整理された際の第1次編号順に整理され
ている。引き出しの中にはウレタン様の物が敷かれているが、それは木簡の形にくりぬか
れ、木簡は動かないようにその中に納められている。引き出しには透明アクリルの蓋がは
まっていた。蓋をはずして裏面を見たい場合は、申し出るようにと言われたが、担当の係
員が常にいるわけではなく、希望する時にすぐに依頼できる状況にはなかった。そのため
係員の都合に合わせれば、いつ裏面を見ることができるかわからず、非能率的であるので、
今回は裏面を見るのはあきらめ、上になっている面だけだが、できるだけ多くの点数を見
一81一
ることにした。
ところで第2次探検の際に発見したスタインコレクションの敦身障簡については、初め
いで羅小玉・王国維により『流沙即断』(京都東山学舎 1914年、中華書局影印再版 1993
年)がまとめられ、さらには林梅村・李均掌編の『砂胆河流域出土漢;簡』(文物出版社 1984
年)などで報告されている。またスタインは第3次中央アジア探検(1913~1916年)でも、
敦燈付近で漢簡167点を発見した。それらはアンリ・マスペロ(Henri Maspero)によって
3次発見の敦煙漢簡も収蔵されている。そこで筆者はそれらについても調査を行った。
両次の理工漢簡については、これまでの報告書の、写真が揃っていないという点を補う
ものとして、大庭雪叩により図録『大英図書館蔵敦煙漢簡』 (同朋舎出版 1990年)が
刊行されている。そこで木簡を実見するにあたっては、この図録と対校し、そこに気づい
たことを書き込むことにした。こうして閲覧室に通った6
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