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  • 2018-04-10 发布于河南
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东シナ海周辺の女神信仰という始点.pdf

东シナ海周辺の女神信仰という始点

東 シナ海周辺の女神信仰 とい う視点 野 村 伸 一 今 日,東アジアにおいて民俗の世界は急速度の近代化 とともに,衰退 してい くかにみえ る。 けれ ども,ほん とうに衰退 してい くばか りなのか, これは可能性 を秘めた世界なのか どうか,そ こか ら何か新 しい視点が開けるのか。 こうしたことを考 えるとき,わた しには 女性の祭祀 と女神信仰 とい うことがかな り可能性 を秘めてい るのではないか とい う予測が ある。そ こで,福建省や台湾, 日本の南島,韓国南部お よび済州島な どの研究者 とともに, それぞれの地域 ごとに積み重ね られた資料,知見を持ち寄 り, これ をひ とつにまとめあげ ようとして研究会を発足 させた。 とはいえ,現在,東アジア全体 を一 目でみる準備 は整 っていないので, とりあえずは東 シナ海周辺の民俗文化 を取 り上げることに した。そ してあ らか じめい うと,この地域では とりわけ女性 の祭祀活動 と女神信仰が顕著なのだが,にもかかわ らず,それがこの地域の 民俗世界の性格 を考 える際に主要な課題 となるとい う視点や取 り組みがほ とん どない1)。 まずは, このことの意味か ら考 えなければなるまい。 0.東 シナ海周辺 の女神信仰 とは何 か 東 シナ海周辺の.女神信仰 とは何か。 この課題 にこたえる前提 として掲げておきたいのは,東アジアの民俗世界はふたつの文 化現象によって, もっ とも特徴づけ られるとい うことである。ひとつは巫俗信仰2)であ り, もうひ とつはそ こか ら産み出された芸能的な表現3)である。そ して, このふたつは衣食住 や,冠婚葬祭,あるいは宗族 をは じめ とした親族制度な どの研究においても,必ず出会 う ものであ り4),逆にい うと, これ らを除いては民俗世界は結局 よくわか らないのではない か とい うことなのである。 ところで,なぜ巫俗信仰 と芸能的な表現が息長 く維持 され,一部には復活 さえしてい る 1 のか。 これは何が支えてきたのか。 ここか ら先 になると,いろいろな視点が必要 となる。 わた しの考えでは東アジア,特に東 シナ海周辺の地における女神信仰の伝統 にこそ根が あった。 1. は じめの女神 とその系譜 1.1.天地 を創 る女神 東アジアには原初の偉大なる女神が広 く信 じられていたことが近年わかってきた。 中国 雲南の景頗族 は人類のは じめの母となった太陽の女神 を崇拝す る5)。個族の創生神話 『カ マンペ ンタオシチャ』に現れ る太陽女神サテェンパ, 壮 族のムロチャ,プヌン族の ミロ ト,水 族のヤウな どもやは りは じめの女神 といえる。た とえば,サテェンパはもっ とも 根源的な 始「祖母神」であ り,天地,多 くの神 々,人間の始祖 ソンウェンとソンサンを生 む。それは 徹「底 して生み育てて くれ る創世の神」である6)。 また福建 には太姥山(大母山)の女神がい る。太姥lhは福建の北部沿岸地帯にあるもの が今 日, よく知 られてい るが,それだけではな く,滝州にもあ り,またその南の金門島に もあった。福建では武夷山の 太「姥魏真人」をは じめ として,各地に 太「姥」の伝説があ る。 潼州の海澄県では太姥山または大武山,太武ll亅とい う。この山には大武夫人壇がある。 この女神は閲にまだ人が住んでいなかった とき,は じめて土地を拓 き民を居まわせた。そ してまた,この山は旧くは大母山ともいい,当地の人び とはこの女神 を 八「閲人祖」 とよ んだ。7)。太姥Illの女神 は漢の時代 にすでに神仙術の影響 をかな り被 っていて, この女神 は九色の竜に乗 って仙去 したな どといい,さなが ら女の神仙 のような姿にもなってい くが, おそ らく, もとは原初の女神 だった とお もわれる。 原初の女神 は琉球ではた とえば,宮古島狩俣のテダナフラ真主8),また久高島のアマ ミ ヤ9)として知 られている。そ こでは,男神 との対が一般 的にかた られ るが,女神 の優位 を 示唆す る伝承 もみ られ る10)。

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